実家に強制送還! 双極性障害になって休職… そのまま仕事ができなくなったエピソード

どうも、星野 良輔(@hossy_FE_AP)です。

ブログを書き始めて1年になるのですが、そういえばエンジニアとして働きながら、徐々に体調を崩し働けなくなったときのことを詳しく書いてなかったなぁと思い、書いてみます。

はじめて双極性障害の診断を受けたときの医師の見解としては、小学生の引きこもり時代に遡ると言われています。

それを踏まえた上でお読みください。

 

 

横浜研修時代

プログラマーの専門学校を卒業し、横浜の近くにある会社に務めることになりました。

同期は30人程度だったように記憶してます。

 

期待と不安を胸にいざ、都会へ

福岡県の田舎出身の私は、神奈川県にある鵠沼という地域に住み始めました。

鵠沼は、高級住宅街のようなところ、会社の都合でここにすまなければならなかったのですが、成功者?を尻目に毎日会社に通っていました。

研修期間の3ヶ月の間だけですが、都会でウェイウェイしてやろうなんていう淡い期待と、人混みが苦手だという不安な気持ちに揺れていたことをぼんやりと覚えています。

 

本鵠沼という駅が最寄りでしたが、まぁなかなかに下町で住みやすかったと思いますよ。

成功者が多いという点以外では(笑)

このスーパーによくいってました。

 

都会の人混みは、福岡の田舎人が感じる人混みとはレベルが違った

本鵠沼駅から東神奈川駅まで、毎日1時間かからないぐらいの通勤。

人混みが本格的になるのも横浜駅からで、東神奈川駅までは横浜駅からひと駅。

おそらく、東京に住み慣れた人ならば「たいしたことねぇよ」というかもしれません。

しかし、私にとってこの人混みだけで毎日が地獄でした。

 

どこを見渡しても人人人人。気持ち悪いぐらいの人人人人。

なんなのあれ。うつむき加減で歩くサラリーマンの光景は福岡でも見てきましたが、数が違う。密度が違う。

そして元気な学生はより目立つ。生きている世界が違うかのような疎外感を覚えました。

 

3ヶ月の間に1回だけ女の子が過呼吸?になって倒れたのを見たことがあります。

自分でサッと処置をして冷静さを取り戻していたので、彼女にとっては慣れたものなのかも。

ただ当時の私の心をえぐるには十分すぎる出来事でした。

ほっしー
いつ俺がああなるかはわからない……

そんな恐怖など知りもしないサラリーマンは、私の背中を使ってその日も新聞を読んでいました。

 

気晴らしに散歩しても人人人人

ふはは、人がゴミのようだ

どこだっけここ。多分、鎌倉だと思います。

割と近場だったので一度足を運んでみようと、土曜日当たりに行ったのかな。

さすがに休日なだけあって人が多いのは当たり前なんでしょうけど、なにこれ。人通れてないじゃん。自転車とおれんやん。

人が多すぎ

いやもう人多すぎて、モザイク処理めっちゃ雑になりました。

めんどくさくてひとりひとりかけてらんないっすよ。

都会でスナップ写真撮ると、こんなことが起きるんですね〜。

桜の写真

頑張って人が映らないように桜だけ切り取ろうとしてもなかなか難しく結局2人、入っちゃった。

 

ほっしー
あーあ。なんか人混み避けてきたのに、人ばっかり。桜もまともにとれない。

 

と、全く気晴らしにならず不愉快な思いばかりをして帰りました。

いつだったか忘れましたが、江ノ島にも行きました。

enosima
江ノ島

のどかだぁ

江ノ島は良かったなぁ。

ちょっと地元に近い感じがしました。また行きたい。

 

同期はいいヤツばかりだったけど

私が入った会社は、ほぼ全員がプログラマになる会社でありながら、未経験OKというのもあって、8割〜9割が未経験の新人さんでした。

研修で一緒にチームを組んでも、2年間専門学校に通って真剣に取り組んできた私との差は明白。

ハッキリ言って、すごいムカついてました。ストレスがとんでもなかった。

 

なかには専門学校を卒業してきました! ってひともいたんですけど、プログラミングは未経験なんですよ。

それは専門学校の構造上の問題なんですけどね…。

プログラミングの勉強で専門学校を選ぶと、量産型エンジニアになる22の理由

 

とにかく自分がしっかりしなきゃいけないという謎の正義感から、軽躁状態に突入していったように思います。

ほっしー
やる気ないならやめれば?

とか、偉そうなこと言ったような気もします。すげぇ後悔。何様のつもりなんだろう。

 

とにかく焦りに焦っていた私は、周囲からの信頼を徐々になくしていき一匹狼となっていきます。

それでも声をかけてくれて、教えてくださいと言ってくれた同期たちは人間できすぎ。

私は入社時24歳。同期は18〜22歳。年下がほとんど。

 

同期
星野さんはああいう人だから。

と諦めてくれていたのかもしれません。よく揉めなかったなぁとしみじみ。

ほんと、ごめんな。

 

名古屋事業所へ配属となる

希望した配属先ではなかった

私は横浜の方で業務用ソフトウェア(ExcelとかWordをイメージしてください)を作りたかったのですが、配属先は自動車の組み込み(Androidを作ってるとイメージしてもらえれば)関連の仕事になりました。

今でもこの時点でやめておくべきだったのかなぁと後悔するときがあります。

お金のために!と嫌いな仕事を我慢してしていると、うつになっちゃいますよ。

 

人間関係というよりも、仕事自体がイヤでイヤで仕方がなかった。当時私が描いていたキャリアパスが根底から崩れさったわけです。

上司から5〜10年我慢すればやりたい仕事もできるようになるかもよ?と言われた時点で、この会社に長くいられないかもしれないという覚悟をしていました。

人間関係は問題なかったという書き方をしていますが、同期が0人で、直属の上司は30超えで年が離れているというのも、キツかったな〜と今にして思います。

飲みに行ったりしても、もっとこうした方がいいとアドバイスくれるのは嬉しかったんですが、どこか仕事が抜けてない感じがありましたからね。

 

ほっしー
あいつら(同期)と飯食いに行きたいな。元気でやってるかな。……つれえな。

なんて思いながらも、私から連絡することは一切ありませんでした。

ほら、年長者じゃないですか。

言えなかったんですよ。恥ずかしくて。

かっこいい星野さんで居たかったんでしょうね。バカだなぁ。

 

配属数日で大きな仕事を任された

本来であれば、2〜3年目でする仕事を任されることになりました。

私は人前で話すことは苦手ではないので、過大評価されてしまったようです。

エンジニアの人は内向的な人が多いので、プレゼンとか苦手なんですよね。

私は専門学校時代にオープンキャンパスのインストラクターを積極的にやっていた(点数稼ぎですが)過去もあって、プレゼンに活かされていました。

 

当然、スキルは追いついておらず、あたふたする毎日。エンジニアとしてはこの程度あるあるですが、相談できる人が全くいないというのはつらい状況でした。

さらに冗談だとはわかっていたつもりですが

お偉いさん
星野くん大丈夫ぅ〜?失敗しないでよ〜?w けっこう大事なところ任されてるんだからねぇ〜?w
他社の人
星野くん期待されてるね!いいねいいね!

 

当時の私は、「期待しているよ」と言ってくれる人間が実はそこまで考えてものを言ってるわけじゃないということに気づいておらず……。

 

ほっしー
期待されてるんだ!頑張らなくちゃ!!!

 

と、どこか強迫的な観念の元、仕事をしていました。

今考えたらホント危険だなぁ。

 

システムエンジニアあるある、恐怖の「レビュー」

私の仕事は、お客様の要望を元に設計書を作り、プログラミングも行うというものでした。

レビューというのは、私が作ったものをプロジェクターに写して開発部長も含めた大人数の前でプレゼンする。というもの。

配属数日しか立っておらず、知識もほぼない状態の人間が作ったもので、良いものができるはずもありません。

そしてついに!過大評価だったことが白日のもとにさらされることになりました。

指摘する人
あ、あぁ…えっと、それはおかしいよ…ね?
社内の人(小声)
あれ、あの子優秀じゃなかったの?うーん(笑)
その他大勢
ざわざわざわ……
ほっしー心の声
人生オワタ\(^o^)/

 

上司が多重影分身の術を使った

レビュー\(^o^)/オワターとなって、自席に戻ろうとしたとき

 

ドゥーン……ブブブブブ

 

耳から変な音が聞こえてきました。

そして景色が歪む。

景色が歪む

多重影分身の術

ほっしー
あれ?なんであの人多重影分身の術使ってんだ?すげー
ほっしー
……ん?いやいやいやこれやばいやつじゃ?

私はどうやら本当にヤバいときこそふざけるようで、口には出していませんでしたが、変なの(笑)と思ってました。

いや、そう思わざるを得なかったのかもしれない。だって怖すぎる……。

 

とりあえず仕事して誤魔化そうとしたけど

コードが波打つ
ほっしー
……。

一過性のめまいにしてはやけに長いのな。と。

これはいよいよ頭イカれたか?と心配にもなったのですが、トイレに行くとすぐに収まりました。

そしてこれ以降、プログラムのコードをみるとグワングワン文字が踊るようになっちゃったんですよ。

10〜15分耐えられればいい方で、すぐに気持ち悪くなるように。

そりゃそうだ、こんな魚眼レンズみたいな世界で仕事なんてできませんw

 

仕事=恐怖になった

それからというもの、仕事=恐怖となってしまいました。

レビュー以外の会議、メールでのやり取り、簡単なExcel操作ぐらいなら難なくこなせていたのですが、プログラミング無理。マジ無理。

すーぐ頭痛と吐き気がしてトイレに駆け込んでいくようになりました。

 

そしてある日、ふと考え込んじゃいました。

納期前になるとシステムエンジニアは忙しくなるのが当たり前なのですが、23時ぐらいでしょうか。

ほっしー心の声
どうしてこんな辛い思いしてまで仕事しなくちゃならないんだろう?なんでだ?

俺はどうしてここにいるんだ?なんで横浜じゃなかった?どこで間違えた?断れなかったのか?

 

と、自問自答をしていて話しかけられても周りの人の声が全く入ってきませんでした。

この頃から、上司も私の様子がおかしいことに気づいていたのかもしれません。

 

ほっしー
相談したいことがあります。

 

と、上司にいったとき

 

上司
わかった。

 

とすぐに答えてくれました。

 

直属の上司の前で大泣きしてしまった

一緒に仕事をし、ときには厳しく、ときには優しく。

口下手で、部下を育てるのはお世辞にも上手とはいえない上司でしたが、最高に心の暖かい人。

人間的にも仕事の面においても尊敬する彼の家に足を運べる機会がまさか「仕事辞める宣言」をすることになるとは……。

彼の家は、まさに独身男性といった感じで、良い意味でモノが散乱していてちょっと安心しました。

 

上司
話を聞く前にちょっと一服してもいいか?w 仕事終わってからの一服とビールが最高でさ〜w

 

と、いつもよりあえて?テンション高めな上司を見ている私は涙を堪えることで精一杯でした。

 

ほっしーの心の声
こんな俺を今まで育ててくれた上司を、あと数分後には裏切ることになる。ごめんなさいごめんなさい。
上司
ふぅ、今日あちーな。ちょっとクーラーいれるか。……で、どうした。
ほっしー
すみません、もう仕事できません。
上司
……そうか。大変…だよな。ひとりだもんな。他の奴らは横浜で同期数人単位でプロジェクト入ってるらしいもんな。まー不公平だと思うぞw

1つの会社に複数の会社の人達が集まって1つのプロジェクトを形成するんです。

なので、私が足を引っ張れば、会社の看板を汚すことになる。

彼は上司として私を守り、育て、よく叱ってくれました。

Project-image

プロジェクトのイメージ

むせび泣いたあとは、はひたすら謝っていた記憶しかありません。

結局わたしは期待して育ててくれた恩を返せずに、ただ1人で潰れていきました。

 

ほっしー
日本の会社は異常だ!働きすぎ!俺は消耗したぞー!うつになったぞー!

 

なんてブログでは声高に叫んでいながらも、会社に対する申し訳なさ、後ろめたさはずっと消えません。

これまで見てきてもらったように、私は「人間関係」には恵まれている方です。これは間違いない。

なのに私は何もできなかった。

社会に出てうつになってしまった人にはいろんな事情がありますが、人間関係が大半です。

私はそうじゃない。ただ、耐えられなかっただけ。弱かっただけなのです。

 

3ヶ月の休職に入った

まずは会社で産業医面談

会社で産業医面談を受けることになりましたが、もうどん底の精神状態だったのでほとんど覚えておらず。

さっさと終わらせようと思っていたはずです。

もういやだったんですよ。会社にいるコト自体も、話を聞いてもらうことも。

ほっしーの心の声
こんな使えない人間に時間を使わないでくれ

とにかくそんなことで頭がいっぱいでした。

産業医面談は、会社によって違うのかもしれませんが、私はあまり意味なかったなと感じています。

あそこで大丈夫な人は止めるんでしょうか?うーん。意味あるのかな。

 

名古屋市の精神科でうつ状態と診断される

幼少期から今までの出来事をつらつらと語っていると、小学校の不登校からうつ発動してるんじゃね?といった話になりました。

ほっしーの心の声
しらねぇよ……何だよ今更……

…と、もはやいつから病気が始まったのかだなんて私にとってはどうでも良いことでした。

仕事ができなくなってしまった人間に、社会貢献できない人間に、一体何の勝ちがあるのか、俺は生きていていいのか?

そんな危険な思想を頭に抱えたまま、上司に電話でご一報。

 

ほっしー
すみません。3ヶ月の休職を要すると言われました。申し訳ありません。
上司
もう謝らなくていいから、あとはこっちでやっとく。ゆっくり休め

 

この電話を切ったとき、私の人生が終わったように感じました。

人として生きる価値がなくなった。本当にそう思いました。

 

自宅ではもはや廃人だった

ほっしーの心の声
社会でスキルをつけて将来はフリーエンジニアとして独立して年収2000万ぐらいで、そのあとは本とか出して、講演会とかやって1億とかいくんじゃねーか!?とか、本気で信じていたときもあったっけ。

仕事に燃えていたときの私が走馬灯のように頭をよぎる。

平日の昼間だと言うのに、名古屋駅のホームは大変多くの人で賑わっていました。

 

……いや、賑わっていたはずです。どうやって家に帰ったのかもよく覚えていません。

気づいたらベッドの上でスーツを着たまま寝ていました。

確か7月だったので、額から流れる液体に不思議な感覚を覚えていたはずです。もはや汗と認識することもない。

なんか食べようにも、めんどくさくてベッドから起き上がる気もしない。

 

ほっしー
最悪このまま死んだっていいか〜。どうせ生きてる価値なんて俺にはないんだから

 

何日も風呂に入らず、電話も出ない。

風呂に入る価値もなければ、電話に出る価値もない。

働けない人間など、この世に存在する価値はない。自分なんてさっさと消え去ればいい……。

 

不思議なことに「死にたい」という感情は一切わきませんでした。というか、感情という感情が灰色のようなグレーのような。

「生きることはだるいからそのまま死んでもいいや」とは思いましたが「死のう!」とするエネルギーはありませんでしたね。

その意味では、「死にたい」という人の気持ちを本当の意味で理解することは私にはできないのかもしれません。

 

直属の上司が何度かきてくれた

私が生きているのは間違いなく彼のおかげです。

すぐに食べれるゼリー系の食料、飲料水などを頃合いを見て持ってきてくれました。

実家に強制送還されるまでの2〜3回でしたが、間違いなく彼がいなかったら死んでいた。

 

なにせ水もありませんでしたから、水道水を飲むという発想もおそらくできなかったでしょう。

直属の上司がくるときは、ときには22時ごろになることもありました。

よく覚えていないのですが、私はちゃんと感謝の言葉を述べたのだろうか。

「命の恩人」に。

 

このままじゃヤバいと思ったのか、実家に強制送還されることに

先程少し触れましたが、名古屋市から実家のある福岡県に強制送還されることになりました。

うつ状態で何もできなかった私ですが、そうか、家に帰れるんだ。と思ったら、必要な荷物をぱぱっとまとめることができました。

 

とにかく逃げるように、実家に帰りました。

 

この部屋で過ごす最後の日、通い慣れた道……普通の引っ越しならちょっと感慨深くなるものですよね。

そのときの私にはそんなことは一切なし。

ほっしー
この地獄から解放される。早く早く早く!早く!早く!

一点を見つめて鋭い眼力でスーツケースを引きずる私は異常に見えたかもしれません。

私服なのにスーツ用の靴はいて帰りましたからね。完全に頭おかしいわ(笑)

 

実家に帰って家族に迎えられたとき、全てが私の中で終わった

私の家族は、精神疾患に理解があるわけでもないのですが、とりあえず私を見たときに「ヤバい」と思ったのかもしれません。

異様なまでに暖かく迎えてくれました。

なんとなく居心地の悪さを感じながら自分の部屋をあけたとき、とてもキレイな部屋でした。

ほっしー
あ、俺死ぬのかな?そろそろ死ぬのかな?

と、よくわからない感覚に陥ったのは今でも覚えています。

 

最初の夜はまるで歓迎会。私の大好きなキムチ鍋を作ってくれて、飼い犬が私に甘えてきてくれて。

ちょこちゃん

飼い犬です。名前は「ちょこ」

正直怖かった。ここも私の居場所じゃないと思ってしまった。

ほっしー
ああ、そうか…終わったんだ。

ほんとに、終わったんだ。もう、俺にできることは何もないんだ。そうか。

 

何かが切れました。ふっと。

 

そしてぼくは、「死んだ」

  • 社会に出て厳しい世界で揉まれながらも耐え続けることが立派なオトナ。
  • 働けない人間など、必要ない。価値がない。
  • 全員引きずり下ろしてやる。絶対に俺がトップに立ってやる

ある種、人間としてクズだった私は実家に帰省したときを持って「死にました」。

なぜなら、殺さなければこれからさき、生きていくことができないからです。

 

私は日々、ブログに「頑張らなくていい。自分らしい生き方をしよう」と書いています。

それは誰かのためじゃない。他ならぬ自分のためなのです。

そうじゃないと私は、自分で自分に殺されることになる。

 

でも今ならハッキリ言える。あのとき私は死んでよかった。

 

診断が双極性障害になったり冬季うつ病になったり

診断書

診断書には「うつ病」と記載されてます。

実家近くの精神科に通いだしてからは、診断が右往左往している状態です。

感覚的には、冬季うつ病がしっくりくるんですが、躁状態のエピソードも過去にあるのでなんとも言えません。

精神科医に聞いても「気分障害という大きな枠組みで見ているので…」というばかりで病名を確定してくれません。

 

でもまぁ、今の先生は、少し前まで嫌いだったのですが、あることをきっかけに自分のことをよく見てくれているとわかったので信用するようになりました。

きっかけは断薬です。私は精神科医の忠告を無視して勝手に薬をやめちゃったんですよ。

レクサプロの断薬を精神科医の忠告を無視して勝手にやってみた結果…

 

病気が再発?か悪化?して落ち込んだ顔で精神科にいったとき、親身に話を聞いてくれて、もう一度リスタートしましょうと軽く言ってくれました。

これまでの先生との関係から、勝手なことしたんでめちゃくちゃ怒られるか、呆れられるかどっちかだろうなと思っていたんですが、どうやらちゃんと先生と向き合えていなかったようです。

恩返しできるように

今はまだ、会社に、上司に、顔を合わせることはできません。

知ってくれてるかな。ブログやってるの。

双極性障害の本も出版することができましたし、「星野良輔」という名前で検索すれば写真も上の方にでます。

 

顔を忘れていなければ、きっと見てくれてると思う。

さすがに忘れないでしょう。自殺しそうになった部下なんて、いやでも忘れられないと思います(笑)

直接、お会いすることができなくても

あいつ、偉そうなこと言ってんな〜ww あんだけ死にそうになってたのにw

 と、笑ってみてくれていたらそれが一番嬉しいです。

 

一歩一歩、進むのみですよ。

DSC_0042

私はどちらかと言うと、自分の実力以上のものを自分に求めすぎた、そして勝手に潰れた。

 

完璧主義というものは、今も完全に治ったわけではありませんが、常に完璧でなければならないという考え方は捨てました。

すぐに社会復帰というわけにはイカなかったけど、ブログをはじめてそれが仕事にかわり。

苦しい生活ながらも、クラウドソーシングサービスを利用してお金を稼ぐこともできるようになりました。

 

健康な頃の私が見れば、ほんと使えねーやつっていうんでしょうけど、ここまでやってきた自分を褒めつつ、さらなる高みを目指していこうと思ってます。

あなたも今どうしようもなくつらいなら、まずはベッドから起き上がることを頑張ってみましょうか。

  1. カーテンを開ける
  2. ちょっとラジオ体操してみる。
  3. 外に一瞬だけでてみる
  4. 散歩してみる

 

こういった小さな積み重ねの先に、社会復帰なんかがあるんじゃないかな。

焦らずやっていけばいいですよ。あなたも、ぼくも。

 

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