双極性障害の特徴を、大切な人は「いつも通りだ」と笑って受け入れてくれた

こんにちは、齋藤吐夢です。

私が双極性障害の診断を受けたのは、大学院生の時でした。その時までは正直

齋藤吐夢

感情の起伏が激しいなあ

という印象が自分の中にあるだけで、まさかその診断を受けるとは思ってもいませんでした。

 

診断を受ける前まで、大学に入学する前まで、一番楽しかった高校時代にも思い返すと、双極性障害の気はやっぱり出ていたように思えます。

ただ一番楽しかった高校時代が“楽しかった”のは、紛れもなく私にとってとても大切な人達が、

そんな私を「いつも通りだ」と笑ってくれたからだと思っています。

 

うつ状態のきっかけは“がん”だった

大学3年生の時、悪性リンパ腫という血液のがんになりました。

結論から言えば、治療の甲斐あって寛解していますし、正直今でもブログで憂いでいることはありますがw 健康な体です。

ただこの時、私は

齋藤吐夢

将来就職はせず、大好きなお芝居を続けていこう!

と決心した矢先だったので、出ばなをくじかれた感でいっぱいでした。

 

挙げ句、自分が脚本・演出する予定だった演劇研究部の舞台には入院のため辞退することに。

念願叶っての脚本・演出だったので、たかが部活動ではありましたが、ものすごく落ち込みました。

抗がん剤治療は半年にも及び、毎週のように点滴を打っては副作用に耐えながら授業を受けていました。

大好きなお芝居は体力がなく参加することができません。

毎日通う必要のある放射線治療のせいで、およそ1ヶ月の実習にも参加できず、憂うつな気分が蓄積されていきました。

 

重いうつ状態を経験して、発覚する

イラスト 女 うつ

結局お芝居の道は諦め、もうひとつ興味のあった研究で、好きなことに挑戦しよう!と思いました。

ただし…

  • 担当教諭とのウマが合わず、研究結果も出ない
  • できる先輩・同期・後輩に囲まれて私だけ何も期待されていない
  • そもそも大好きなお芝居も諦めた、なんで私が“がん”になる必要があった?

と、合わないと思っていた環境に、自分を追い込んでいきました。

「合わないとおもっていた環境」というのは、のちのち誤解であったことが分かったからです(笑)

 

そしてある日突然、玄関から外へ出ることができなくなり、排泄以外に動くこともなく、布団にくるまったままの生活を3週間ほど続けることになりました。

この期間は、楽しくもなければ、つまらないとも思えない、何も感じることのできないつらい3週間でした。

排泄物だけは漏らしちゃいけないという理性が働いていて本当に良かったと思っていますw

 

3週間過ぎたあたりで、ふと「この状態は異常だ」と思えるようになって、即心療内科へ駆け込むことにしました。

いくつかの質問に答えると、出てきた回答が

精神科医
双極性障害の疑いあり

でした。

身体的にも参っていたみたいで、全身に湿疹(蕁麻疹?)が出るようにもなりました。

痒かった。あまりにも凄かったので記念に一枚。

 

振り返ると軽躁と鬱を繰り返していた

私はあの3週間が完全にうつだと思っていたのですが、どのような症状なのかを聞いて納得しました。

振り返ってみると、大学院時代のみならず

  • 大学時代
  • 高校時代
  • 中学時代
  • 小学校

…遡ってみても、元々その気があったようなのです。

納得のいく回答でした。

 

例えば大学院時代、あのいや〜な3週間を過ごす前から、実験も論文執筆も何も手につかない時期があったかと思えば、

コアタイムより前に研究室に足を運び、退館時間ギリギリまで実験していた時期が交互に訪れていたのでした。

 

演劇研究部では、突然猛烈に稽古に励み出し、“できる役者”アピールをしたかと思えば、基礎練習すらやる気が起きず、先輩方にぼろくそに叱られる時期もありました。イラスト 女 双極性障害

齋藤吐夢

ああ、なるほど。この妙な起伏は、そのせいだったのね

と診察を聞いてからはすっとラクになったことを覚えています。

 

大切な人にはどってことなかった

その後、この症状を薬で抑えていた時期もありましたが、会社員時代に精神状況が悪化したのと“がん”の再発疑惑が浮上した時に、

齋藤吐夢

薬で抑えてても“がん”になるんだったら、今までの5年間はなんだったんだ?!

と思い、薬物療法をやめ、自分を取り巻く環境そのものを変えることで症状と向き合うことにしました。

でもこの決心には大きなきっかけがあって、それは一番楽しかった思い出のある高校時代の友人に、この症状について話した時のことです。

決定的な言葉をくれたのは2人で、どちらも親友です。

 

まず私が

齋藤吐夢
双極性障害って診断されてね

という話をした時、その子は

男性

いつも通りじゃん〜高校生の時からそんなだったよ

と笑ってくれました。

もちろん高校の時からそんなだったせいで迷惑かけたんじゃないか?!とも思いましたがw

女性

そんなの普通じゃん、普段の齋藤じゃん

と、言われたことがどれだけ嬉しかったことか。

 

もう1人は、私が時々憂うつな気分に陥ることは知っていたのですが、

女性

最近病んでない?

と直球に言われましたw

あまりの直球さに笑ってしまいましたが、彼女いわく一番楽しかった高校生時代ですら、ふと思い詰めた顔をしていたので心配だったと言われました。

 

その時、私は周りの人に支えられて生きていることを実感して、すごくありがたいなと思ったんです。

大切な人のおかげで、自分を取り巻く環境に気づくことができた私は、「双極性障害」を今では私の“特徴”として捉えています。

キャッチフレーズのように“がん”や“双極性障害”の話をすることで不快に思う方もいらっしゃるとは思いますが、私はこの“特徴”を活かすことで、大切な人達が私に与えてくれたものを、同じように苦しんでいる人に返したいなと思っています。

 

環境を変えた、すなわち会社勤めを辞めて、“かく”仕事に徹することにしたのもそのためです。

面と向かってもきちんと言いましたが、今の私がいるのは大切な人達のおかげです。本当にありがとうございます。

大切な人の一人である夫が描いた私の似顔絵です。私が軽躁だろうが

鬱状態だろうが平常運転で付き合ってくれるタフな人です。この絵、似てます。

 

齋藤吐夢さんについて

 

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