「社会的弱者」と言われる障害者の一部は「社会的強者」ですよ。

なんとも言えないニュースが飛び込んできました。

同じ障害者としてなんと言ったらいいのか言葉も出ません。

普段テレビではニュースを見ない私も、テレビに釘付けになっています。

さて、報道を見ていく中で気になったのが、話の本筋とは違いますが「社会的弱者」という表現。

弱者という単語。どうにも素直に受け取り難いというかなんというか。強烈な違和感を覚えるのです。

一方で、「社会的弱者」はみんな「弱者」なのか?という疑問も浮かんできました。

私で言えば、双極性障害という「障害」を持っているので「社会的弱者」なわけですが、別に不自由してませんよ。

その上で障害者としての権利を有しているので、健常者よりも「社会的強者」かもしれません。

 

 

社会的弱者とは?

雇用・就学の機会や人種・宗教・国籍・性別の違い、あるいは疾患などによって、所得・身体能力・発言力などが制限され、社会的に不利な立場にある人。高齢者・障害者・児童・女性・失業者・少数民族・難民・貧困層などが社会的弱者となり得る。引用:

コトバンク

私のように、精神科に通院して双極性障害という精神疾患であると判定を受けた時点で「精神障害者」になるので、「社会的弱者」の立場になるわけです。

障害者である以上、「社会的弱者」なんですよ。

わかりますかこの、意味不明なレッテル。

気にしてもしゃーなしなので、あんまり気にしないようにしてますが、「社会的弱者」という烙印を押されるだけでも治療が遅れると言っても過言ではない。

何かもっと他の言い方はないのか?と思ってしまいます。

 

「弱者」という言葉の威力

「守らなければいけない」というのは、報道の中でキャスターが使っていた言葉です。

確かに、今回襲撃されてしまった障害者施設に入所されている方は、最重度の障害をお持ちなようなので、介助は必要でしょう。

しかし、障害の程度を無視して社会的弱者と決めつけるのはどうなのか?と軽度の私は思ってしまうのです。

もちろん、「障害を認定」するにはどの程度の…といった指標はありますが、ハッキリ言って、精神障害者になりたければ誰でもなれますよ。

精神科医から双極性障害の診断を受けるのはいくつかのポイントを抑えれば余裕です。

「弱者」という言葉は私たちが想像しているよりも強烈な印象を残します。

この視点は、「障害者」とは反対の位置に定義される「健常者」の方に教えていただきました。

これは重大な指摘。私にとってはいろんな気付きがありました。

「障害者」となって2年以上が経過したためか、完全に社会的弱者の感覚に染まりきっていた私は、健常者の感覚を忘れつつありました。

「障害者=なにもできない⇛助けてやらなきゃ」この感覚。私も確かに健常者時代は持っていたはずです。

障害の程度によってできることがあるという視点は、誰もが持っているはずなのに、健常者側からはその差異は見えないんですよ。

 

生活する上で「障害」がそれほど「障害」になってない

例えば私が患っている双極性障害2型という病。

1型と2型というものが存在していて、誤解を恐れずに言えば明らかに社会生活に影響があるのは1型のほうです。

双極性障害2型の私は、病気であることを気づかれることも稀であり、ただの慢性うつ病とみられることもあります。

双極性障害とはどんな病気?当事者の私がすべてお答えします。

ここ半年以上はずっと「寛解状態」にあり、医師もあと半年すれば減薬も考えましょうと言っています。

つまり、今の私は「社会的弱者」でありながら「健常者」と何も変わらないというよくわからない立場にあるわけです。

仕事に関しても、ウェブメディア運営、ライティングなどなど、インターネットを使って稼いでおります。

うつ病でもできるよ! ネット、在宅ワークでお金を稼ぐ方法まとめ

 

「強者」は「弱者」を恐れている

ここで言う強者とは、社会的弱者とは対になるもの。つまり、健常者のことを意味します。

私たち障害者にとっては、やはり強者なのです。

特に障害者は劣等感の塊であることが多いですから、私以上に強者に見えているかもしれません。

その妄想が強すぎて怪物のように見えているかも。

一方で、強者は明らかに弱者を恐れています。

異質なものとは関わりたくない。精神障害者相手の場合、何気ない一言で殺しかねないという恐怖があるのかもしれません。

過保護の中にある「社会的弱者」の一部の人は「社会的強者」になります。

 

一部の障害者が社会的強者である理由

これについては先程の雨宮さんのツイートが参考になるのでもう一度引用しましょう。

障害者は健常者から「何もできない」と思われているのです。

程度の差はあるでしょうが、健常者よりは出来損ないに見えてしまっているのでしょう。

そんな私たちにはたくさんの制度が用意されています。

いずれも経済的負担を軽くするものです。

継続的に給付を受けるためには審査があるので、症状が軽すぎる場合は受けることができません。

しかし例えば、障害年金。

最も等級が低いものであれば、月に5万円程度の収入になります。

障害年金の証書

これは、本人の収入は審査対象になりませんので、仮に起業家でバリバリ稼いでいる人でも「障害者」で「等級の対象」となるならば、毎月5万円支給されるわけです。変な話ですね。

ただ、障害者にはあまりに膨大な書類の量を請求してきます。

普通にうつ状態だったら、申請するのなんて無理です。

社労士を使うべきでしょうね。

社労士と障害年金を取るまでの流れをまとめてみたよ

少ないとはいえ、障害者手帳も各種サービスが受けられます。

自立支援医療制度は、自治体によって医療費が無料になります。

私のように「社会的弱者」でありながらも障害の程度が軽度でほとんど生活に支障がないレベルまで回復すると「社会的強者」となります。

 

障害を個性として活かしている人もいる

そもそも「健常者」と「障害者」という区別に無理があります。

障害にもいろんなものがあって、それは果たして本当に「社会的弱者」なのだろうか?と思ってしまうものもあります。

例えば明石家さんまさんは、「躁病」と言われています。常にハイテンションが続く病気ですね。

 

これは明らかに異常であり、正しい診断を受ければおそらく「社会的弱者」の烙印が押されるでしょう。

どうですか?明石家さんまさんが社会的弱者ですよ。これほど違和感のある例えはないでしょうw

 

私なんかもそうですよ。双極性障害2型という「社会的弱者の烙印」が押されていますが、毎日ブログ書いてますし、それが仕事になっています。

明石家さんまさんほどでは当然ありませんが、毎日いやいや仕事をして残業して帰って雀の涙ほどしか給料が出ないような消耗サラリーマンよりは最高に幸せな人生を送れていますよ。

それでも「社会的弱者であり、優遇されるべき存在」なんですよ、私は。

どうですか?すごい違和感でしょう。人によってはムカつくかもしれませんねw

 

障害者は何もできないと思ってはいけない

重篤な障害を除けば、「障害」は「障害といえるのか」微妙なところだと思います。

双極性障害2型の軽度のような気分は安定しないけどそんなに影響ないような人というのは脳の個性と捉えることもできます。

むしろ、双極性障害を持っているからこそ才能を発揮している人もいます。

双極性障害(躁うつ病)の有名人まとめ【国内、海外総勢30名】

双極性障害に限らず、障害者と言われる中には「天才」がいます。

例えば私の弟は自閉症という診断を受けて療育手帳を持っているので、知的障害者として社会的弱者の立場なわけですが、「○年○月○日は何曜日?」と聞くと、一瞬で正しい答えが帰ってきます。

Googleカレンダーで検索するよりも早いですよw

道も一度言ったところは完璧に記憶しているので、ナビよりも優秀なナビです。

しかし、コミュニケーション能力はやはり低いです。少し難しいことを注文するとパニックになります。

でも、下手な人間よりも優しい心を持っています。弟を見ているといかに自分が汚れているか分かる。

障害者だからといって「守らなければいけない」わけではありません。

「守らなければいけない」ところもあるけど、「教わるところもある」わけです。

普通の人間と変わんないですよ。過度に警戒し過ぎなんですよみなさん。

 

障害者が健常者に理解されることはおそらくない

私は自分が「障害者」という立場ですから、ここから発信を続けます。

社会的弱者と言われている人はこうだよ!こんなこと考えてるよ!健常者のみんな元気ですか!……と。

私の夢の1つに「健常者と障害者の誤解を無くしたい」というものがあります。

ここまで述べてきたよに私は障害者でありながら健常者に限りなく近い存在だと思うのです。

だからこそ、どちらの気持ちもわかるのではないかと。

しかし、活動を続けていくとわかってくるんですよ。

障害者を理解するには自分が障害を負うしかない

ルポライターとして社会的弱者に向き合う鈴木大介さんが良いことを書いていたので引用してみます。

これまでの取材活動の中で、僕は多くの発達障害を抱えるがゆえに社会や集団から離脱・排斥された人々や、精神障害と貧困のただなかに立ちすくみ混乱する人々を取材してきた。

彼ら彼女らは、一様に「面倒くさい人たち」で「不自由な人たち」だったが、僕は記者として、初めて我が身をもってリアルな彼らの当事者認識を理解できるようになったのかも知れない。

ならばこの経験は、そうして面倒くさくて語る言葉を持たない社会的弱者の代弁者になりたいと思い続けてきた僕にとって、僥倖にほかならないではないか。

 

四十一歳の若さで脳梗塞をやり、この当事者感覚を得つつ、感じ、考え、書く能力を喪失せずに済むなどという経験は、望んで得られるものではない。

ならば書くのが僕の責任だ。彼らに代わってその不自由感や苦しみを言語化するのが僕の使命だ!

 

引用:脳が壊れた

このように、誰よりも社会的弱者に向き合ってきた彼でさえも、実際に自分が障害を持たないと、当人の気持ちがわからなかったと言っているわけです。

 

外傷のない病は、見た目にわからないので、理解されることは不可能です。

私がうつ状態でベッドに寝ていたときも、どこが悪いのかわからないと家族も不思議そうな顔をしていました。

しかし、当時の写真を見ると、明らかに肌が白く、痩せほどっているので危ない感じにはなってますw

プロフィールに画像がありますのでよかったら参照ください。

 

障害者が健常者を避けすぎという点もある

この傾向は特に精神障害者に多いのですよ。

いろんな事情があって、精神的に参ってしまうわけですが、アルフレッド・アドラーが言うようにすべての悩みは対人関係にあるわけで、精神障害者は他人を恨んでいることが多いです。

Twitterでも「健常者は悪。もっと障害者は優遇されるべき」と言った発言が見られることもあります。

Twitterの画像

匿名だとみんな言いたい放題だよね

こんなことでは健常者に理解してもらうのは不可能でしょう。

「お前には何もわからないだろ?私の辛さなんて絶対わからないよ。幸せに暮らしてる健常者なんかに。」

こんな態度で理解してもらうとするほうがどうかしているでしょう?

健常者側がどんなに寄り添っても、障害者がこのような心持ちをしている以上、理解してもらうことなど不可能なわけです。

 

それでも発信は続ける

ブログ

だからといって諦めてはダメなんですよ。健常者はどうすれば障害者を理解できるか、障害者はどうすれば健常者にわかってもらえるか考える必要があります。

全く異質な生き物だから別々の世界で生きていくという選択肢は不可能なんですよ。

軽度ならば、一生障害者というわけにもいかないでしょう。いずれ健常者に戻る必要があるのです。

健常者は、いつ障害者になるかわかりません。知っておく必要があるのです。

優しい社会は作るべきなのです。ストレス社会だからこそいつ誰が社会的弱者になるかわからない。

精神障害者になったら大変ですよ。本に書いてあるのは一例に過ぎません。苦しみは永遠に地獄が続くかのような感覚です。

どんな手段でも構わないので発信は続けましょう。

私はブログ、Twitterで頑張って声をあげ続けます。

特に双極性障害に関しては、健常者側の人間にも潜在的な人数はかなり多いと言われているのです。

うつ病だけに限らず、精神疾患は誰でもかかる可能性があるだけにもっと知られるべきです。

 

さいごに

今回、とても残虐な障害者施設襲撃の事件の犯人は、精神疾患の疑いも持たれています。

精神疾患者を一緒くたにして「異常者」の烙印が押されないことを祈っています。

異常なのは精神疾患ではなく、犯人なのです。ここを間違えないようにしていただきたい。

このような事件の犯人が精神疾患だと、すぐに精神疾患は異常者だけだと言ってしまう人がいるのは悲しいことです。

だからこそ、私は精神障害者として現実を綴り続けます。

ほっしー
元気にやってますよwwこんな精神障害者もいまっせww