どうも、ほっしー(@HossyMentalHack)です。
私たちは競争社会の中で生きています。他人と比較してしまう生き方をして、勝ち組、負け組…。なんだかそればかりで寂しくなりますね。
他人と比較しない生き方から相対的な幸せの価値と、絶対的な幸せの価値について考えてみたいと思います。
他人と比較しない生き方
他人と比較することに意味はない
例えば、ブロガーである私で言うと、ほかの同じブロガーと自分を比較した時に明確な違いとして現れるところは、PV数です。
実際に自分のブログがどれだけみられているかというのが数値でわかるんです。
でも、それを比較したところで何になるんでしょうか。正直、凹むだけですよ…。
サラリーマンであれば、出世競争。学生であれば偏差値もしくはクラス内順位。
確かに、自分が今どの位置にいるのかというのを知ることは大事なのかもしれません。
それ自体がモチベーションになるという人もいることでしょう。
ただし、上を見ても下を見てもキリがないんですよね。上には上がいて、下には下がいるものです。
突出する人間は他人と比較しない
自信を持っている人、何かの分野で成功を収めている人は他人と比較することが少ない人が多いように感じます。
周りを見ていないわけではありませんが、愚直に自分のやるべきことにだけ集中しているという印象ですね。
そういった人たちは常に過去の自分と比較しているように見えます。昨日の自分には負けないようにしようと頑張っています。
競争相手が自分だけなので、余計な情報に惑わされることがありません。
そもそも、他人と比べることなど不可能
例えば、あなたが学生だとして、同じクラスの隣の席の人にいつもテストの点数で負けるとしましょう。
自分と比較した時、「これだけやったのになんで…」「はぁ…俺バカなのかなぁ…」「あの人とは頭の作りが違う」と、ぼやいたことはありませんか?
私もあります。
でも、あなたと比較する相手があなたと同じ環境で、同じ努力時間だと証明する手段はありません。
それに、単純にテストを受けた日の体調によっても点数は変動するでしょう。どれだけ見直しても寝不足の日にはケアレスミスはあるものです。
前提条件が違うこと、複雑に絡み合った要素などから、他人と比較すること自体が不可能だと私は考えます。
なぜ人は他人と比較してしまう?
日本社会は嫉妬社会である
日本は海外よりも同調圧力の強い国だと言われています。横並び、出る杭は打たれる。
個性が伸びずらい環境ですね。
他人と比較する生き方をすると、自分よりもできる人を見ると、嫉妬してしまうんですよね。
また、自分よりも劣っていると判断してしまった場合は、優越感に浸ることがあるでしょう。
それらの行為は、自分の成長という観点から考えると、マイナスでしかありません。
嫉妬の感情によって成長のエネルギーは奪われ、優越感に浸ることによって現状に満足してしまいます。
幸せの尺度が他人次第だから
他人の年収と比較して自分のほうが高いか低いか。他人の成績と比べて自分のほうが上か下か。他人の妻(または夫)と比べてうちは良いか悪いか。
比較する尺度がいつも自分以外の誰かという人が圧倒的に多いと思います。
そんな世界で生きている私たちは、他人とは比べないほうがいいと意識しない限り、無意識に他人と比較してしまう環境にあると思います。
これは、相対的な幸せの価値(以下、相対的価値)といえることができますよね。
では、絶対的な幸せの価値(以下、絶対的価値)はどこにあるのか。これ、難しいですね。私も模索中です。
先ほど、人と比べることは相対的価値であると断言しましたが、過去の自分と比べることは絶対的価値となりえるのか?と言われるとそれには疑問が残りますね。
なぜなら、過去の自分と今の自分を比べようとするならば、それは相対的価値をそこに与えることになるのではないか?と思うからです。
一つ言えることは、他人と比較することよりは、精神衛生上よろしいということなのだとは思いますが…。
絶対的価値観とはどこにあるか
強引に結論付けるとすれば、「自分の人生の主人公は自分である」ということについては絶対的価値観といえると思います。
趣味なんかに没頭しているときは、他人の価値観に振り回されることがないのではないか?と思ったのですが、この趣味についても他人から植え付けられたものの可能性があります。
………いや……でもあれですね…自分の人生の主人公は自分だよねっていうのも、誰かの価値観から植え付けられてるともいえるか…。(笑)
まとめ
まとめというか、ぶれぶれでごめんなさいという謝罪のまとめとなりそうです(笑)
現時点で、絶対的価値観についての結論は出ていません。ただ私の中では、他人と比較する生き方はやっぱり苦しいよねというのは確かな答えです。
しかし、競争社会に生きている以上は他人と比較されますし、比較せざるを得ないことも多々あるでしょう。
他人と比較する生き方を許容してしまって、そのうえで幸せについて考えるという考え方があってもいいと思います。
私の希望としてはあくまで、他人と比較せずに生きていけたらいいな!ということです。
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