どうも、ほっしー(@HossyMentalHack)です。
このように考えてしまう人が現代は多いと聞きます。
私もそう考えたことがあります。双極性障害という病に侵されうつ状態がひどかったときです。
しかし、精神疾患にかかっていなくても生きている実感がわかずに虚しい気持ちになる人も多いのです。
これはなぜでしょうか?
私はある意味仕方がないと思っているんです。生きている実感なんて今でも好きなことをしているとき以外は湧きません。
ある種、生きている実感が湧かないのは仕方のないことだとあきらめています。
人間の「生きる」は多様化しすぎた
人間以外の動物の「生きる」とは ねぐらを探す、肉体的な生存と種の繁栄です。
人間の場合、肉体的な生存と種の繁栄に関しては、無意識に生きていてもクリアされる可能性が高いですよね。
動物は明日も生き延びれるか?という一点だけを心配していればいいのに対し、人間は、明日はどんな日にしようなんてことを考えているわけです。
しかし、本来は人間も、明日生き延びれるかどうか?の世界に生きていたはずです。
狩猟時代には、危険なところに住んでいたでしょう。いつ外敵が襲ってくるかわからない、命が続くかわからない。
余談ですが、その名残で人間は基本的にネガティブ思考だと言われているんですよ。
もし、明日生き残れるかわからないものだとすれば、1日生き延びることで生きていることを実感する可能性が高いのではないでしょうか。
そりゃ、生きている実感なんて湧きませんわ(笑)
死の淵から蘇った人が、1日1日を感謝して生きられるようになるのも、死を身近に感じたからなのかもしれません。
今の私たちは死があまりにも遠い。
どうすれば生きている実感を得られる?
感情を客観的に見つめてみる
あなたが人から嫌なことを言われた時、それに対して怒ることがあると思います。
しかし、実際には、怒るという感情を選択しているだけ。
一旦落ち着いて考えてみると、あ、私怒る選択をしたのか。と感じることができます。
この感情の揺らぎを1つ1つ確認してみると、人間って結構忙しい奴だなと感じるんですよ。
あー、生きてんだなー(笑)
と、感じることができます。
没頭できる何かを始めてみる
寝食を忘れるぐらい没頭できるものがあれば、生きている実感が湧いてきます。
……いや、違いますね。生きている実感が湧かないといったようなことに悩む暇がなくなりますといったほうが正しいかもしれません(笑)
私の場合でいうと、文章を書くことでした。
最初は、お金がないので小遣い稼ぎにと思ってクラウドソーシングを使ってお金を稼いでいたんですよ。
すると意外と文章書くこと好きなんだなと思って、自分でもブログを始めてみました。
双極性障害という病を知ってもらえればな~という軽い気持ちと、気兼ねなく文章を書いてみたかったからです。
ほとんど趣味みたいなものなので没頭してやっていたんですが、ブログから徐々に知り合いが増えたりお仕事を頂けるようになりました。
没入するなにかにひたすら没入していたら、人生が楽しくなってきた!ということですね。
生きている意味なんてわからなくていい
強引にまとめて仕舞えば、人間を含めた動物の生きる意味は、子孫繁栄だけです。
なので、生きる意味がわからなくてつらい…と追い込まれる必要はありません。
私たちは他の動物よりも生きる意味を見出しにくい世界に生きているのですからこれはもう仕方がありません(笑)
だからこそ、哲学が生まれたのかもしれませんね。
みんな必死こいて、生きる意味を知りたいんでしょう。
偉そうに述べてきましてが、私自身も生きる意味はわかりませんし、知りたいという気持ちはあります。
でもやはり、死ぬ間際にわかるのかな…とも思いますね。