「質の高い文章しか記事にしてはいけない」に対する反論。

質の高い記事や文章が世の中から減ってきたということは、質の高い人生、つまりカッコイイ人生を生きようとする人が減ってきているのかもしれません。

一番大切なのは書くスキルやアクセス数を上げるノウハウではなく、「自分は文章で食べていく」という姿勢であり、

少なくともウェブの世界で文章を書いていく場合には、もの凄い速さで量産されるジャンク・コンテンツたちに対して、きっぱりと「No!」と言う必要があります。

引用:アマゾンCEO「ブロガーがこんな記事を書いたら飢え死にするぞ。」ブログを書くのは女を口説くのと同じだと思え。

 

今回取り上げる記事は、ブロガーさんならぜひ一度読んでもらいたいです。

質より量か?量より更新頻度か?といった問題は常に議論されるところですからね。

さて、引用した記事では、質の高い記事以外は基本的に世の中に出すもんじゃないよと書かれているのですが、私はそうは思いません。

 

理由は2つあります。

 

  1. 何を持って質が高いとするかは読者によって違うから
  2. ブロガーはまず知られないことには何も始まらないから

 

また、引用した分にはかっこいい生き方をしている人が少なくなったからかっこいい文章が減ったと書かれています。

しかし私は、人の悩みや浅はかだとしても自分の考えを素直に表現している文章は、ブロガーやネット上で文章を書く人間にしか表現できない味を持っていると考えます。

 

 

質のいい文章とは?

質の高い文章とは?

質の高い文章とは?

本当に良い文章とは、読んでいるうちに頭の中で映像化されてくるもので、加工されただけのコピペ文章や、

安価でアウトソーシングしたコンテンツなどは、書き手の頭の中に伝えたい明確な映像がないため、

短期的にアクセスを稼ぐことはできても、長期的には何の付加価値も生み出すことはなく、

日々生み出されている他のコンテンツと一緒にインターネットというブラックホールの中に消えていってしまいます。

引用:アマゾンCEO「ブロガーがこんな記事を書いたら飢え死にするぞ。」ブログを書くのは女を口説くのと同じだと思え。

 

「読んでいるうちに頭の中で映像化されてくるもの」

これは納得できます。私もそう思います。

 

ブログを書いていると、悲しいことに短期的にも長期的にも価値を生み出さない記事があることは確かですね(笑)

 

読んでいくうちに映像化されていくような質の高い文章は、体感的にもweb上のものより書籍に多いです。

しかしそれは、読み手のことを意識して意図的にそうしているという事情もあるんですよね。

 

時代とともに読み手が変わってきているという事実

長い文章は読みたくない…。

長い文章は読みたくない…。

一番大切なのは書くスキルやアクセス数を上げるノウハウではなく、「自分は文章で食べていく」という姿勢であり、

少なくともウェブの世界で文章を書いていく場合には、もの凄い速さで量産されるジャンク・コンテンツたちに対して、きっぱりと「No!」と言う必要があります。

引用:アマゾンCEO「ブロガーがこんな記事を書いたら飢え死にするぞ。」ブログを書くのは女を口説くのと同じだと思え。

 

Web上にあふれる文章は、村上春樹さんのようにひねりを利かせた文章ばかりではありません。

そりゃ彼に比べれば、ネット上のコンテンツなんてごみの山ですよ。

ただ、それは、本を読むことが好きで、文章にうるさい人から見ればという話ではないでしょうか。

 

ブロガーでそんな人に向けて書いている人もいるでしょうが、ほとんどの人はそうじゃないはずです。

簡単な情報をサクッと読めて吸収する。それが現代の読むという文化だと思います。

 

Q.電子書籍も含め一カ月に何冊の本を読みますか?

・1位 「0冊」……38.3%

・2位 「1冊」……14.6%

・3位 「2冊」……12.1%

・4位 「3冊」……8.2%

・5位 「5冊」……7.2%

引用:フレッシャーズ

 

約4割の人が1か月の間に1冊も読まないそうです。

これは、必要に迫られない限りは読まないということでしょう。

 

そんな人が、web上の文章を読んでくれるでしょうか?

Twitterで凝縮しきった140文字でさえ「長い!」と指をスクロールしてタイムラインの山に埋もれることでしょう。

 

これは、私自身が学生のころ本を読まなかったのでよくわかります。

本当にめちゃくちゃ興味のあるコンテンツ以外は、140字でさえも「長い」と思って読みません。

 

Web上のコンテンツの移り変わり

テキストから動画へ

テキストから動画へ

インターネットが普及してテキストベースのものがあふれていたあと、Twitterのような短文のスタイルが流行り、Youtubeのような動画が流行り、現在ではもっと手軽なSnapchatが流行りそうな雰囲気。

情報を取得するためにはそもそも文字は読まない方向に移り変わってきてることがわかります。

 

その一つは、広告の少なさとさっぱりした画面だ。

さらに、10代の心を掴んでいるのは、投稿した画像や動画が自動的に消去される機能だ。

2013年にcomScoreが調査を開始した当初、若者たちはこぞってフェイスブックを退会し、スナップチャットを使い始めていた。

現在でも彼らは瞬間的に楽しむことのできるスナップチャットを好み、フェイスブックには見向きもしない。

引用:アメリカの子供はなぜスナップチャットにハマる? 米国おっさん記者が解説

 

このように、動画や画像ですらも、一瞬で消費されるようなコンテンツが流行しているわけです。

そんな時代に、文章の質のみにこだわって自分の納得する文章以外は出さないという姿勢では、チャンスを逃してしまいかねません。

ただでさえ読んでもらえない可能性が高いんだから、できるだけ目に触れないとっ!w

 

プロでさえも何が当たるかわからない

プロでも数を打つ

プロでも数を打つ

原稿を描くことはまさに筋トレと同じですからね。描けば描くほど楽になってきますから。

サボればサボるほど筋肉は衰えますので。筋トレというのはやってみると分かりますが、1日目はつらいけれども、3日目は少し楽になり、1週間やると割と楽しくなってくるんです。

1カ月続けるとやめたくなくなるんです。それと同じで漫画も、描き続けているとどこかで描くのが楽しくなってくるポイントがあるはずです。

引用:マンガで食えない人の壁 -プロがプロたる所以編-

タイミングというのは大きく関係していると思います。

それをつかむためには半年に1作品を完成させるというペースではとてもそのタイミングをつかみ切れるとは思いません。

下手な鉄砲でも何回も打っていると、タイミングをつかむということは大いにあり得ますから。

引用:マンガで食えない人の壁 -プロがプロたる所以編-

 

プロの漫画家でも、質の高い作品を手掛けることも大切だけど、まずは量をこなして数打てよ!と言ってるわけです。

 

実際に私もブログ記事をたくさん書いているとそのうちの一つがなぜか当たったという出来事がありました。

 

質なんて考えずに悩みを書いてみたら世界が広がった

意外なところから光が差した

意外なところから光が差した

私がブロガーとして生きていくことを母に宣言したときに、全否定されたことがあります。

そのことについて、ただ文句をつらつらと書いた記事があるんですよ。

するとその記事が、プロブロガーのイケダハヤトさんに注目されてブログに取り上げられました。

 

 

参照:まだ東京で消耗してるの?⇒「親の理解」は、得られないときはどう頑張っても得られない。諦めて距離を置こう。

 

これは私の推測ですが、イケダハヤトさんは私のブログの文章の質を評価したわけではありません。

自分のブログのネタにしよう。と思った程度かもしれません。

しかし、これをきっかけにイケダハヤトさんと少しだけ交流を持つことができた私は、ダメ元でnoteの有料マガジンに載せて欲しいと原稿を送ったことがあります。

 

 

なんとこれが採用されて、今は連載させてもらってるんですよ。

 

さらにもう一人、ブロガー界では有名な八木仁平さんにお会いした時のことをお話させてください。

「やぎろぐ」八木仁平、「まじまじぱーてぃー」あんちゃ主催、博多ブロガーナイトに参加してみた。

2016.06.26

 

当時ははてなブロガーとして有名だった八木仁平さん(今はWordPressに移転)とイベントではじめてお会いして交わした言葉を今でも覚えています。

 

八木仁平さん
ほっしーさんって、イケハヤさんと仲いいんですか?

 

八木仁平さんは、有料記事に私のコンテンツが掲載されていたのを見て知っていたそうです。

 

私がもし、記事の質を気にして「母親はブロガーという仕事を全否定した」という記事をあげなかったとしたら、イケダハヤトさんの有料noteに連載されることも、八木仁平から事前に知ってもらうこともできなかったはず。

 

だからこそ私は、ブロガーとしてWebで文章を書くということは、必ずしも高い質を意識しすぎる必要はないと考えています。

上記のイベントには、新進気鋭のゲスブロガーあんちゃさんも講師として来ていたのですが、彼女も八木仁平さんも「何を書くかより誰が書いているかが大切」だと言っていました。

 

あんちゃさんも自分のキャラには徹底的にこだわっているように見えます。

らぶまじぱという恋愛メディアもあんちゃさんのキャラクターの強さをもっと出すためにメインブログまじまじパーティーとは切り離したのでしょう。

 

質が高いに越したことはないけれど、それを理由にサボるのは違う

変な解釈はしないように注意したい。

変な解釈はしないように注意したい。

今回言及している記事に対してブロガーとして怖いところがあります。

先延ばしは「生産性の敵」かもしれないが、「創造性の源」にはなる。

 

生産性と創造性については、両立しないことがLifehackerでも言及されていました。

参照:生産性と創造性は両立しない:研究結果

 

しかし、基礎体力作りをサボるというのはやっぱり良くないですよ。 たくさんの量をこなした人にしか質の良さというのは訪れない。

 

将来的に質の高い文章を書きたいならば、誰よりも量をこなすことが最も手っ取り早いことかと思います。

何事も面倒くさいと思えることが一番はやいですからね。

 

また、たくさんの量をこなすというのは、ブログ記事を公開することも含めています。

公開⇛反応⇛分析⇛修正⇛公開

これもブロガーとして腕を上げる上で大切な仕事の1つだと考えています。

 

たくさん書きたくないなら書かないほうがいいと思います。

無理をしても続かない

一番大事なのは自分のスタイルを確立すること。無理すると続かない。

ここまで、たとえ現時点で質が高いとはいえないかもしれない記事でも量産するべきだ!と私は述べてきました。

これは、私自身がいろんな物事について書いて発信していきたいと考えているからにほかなりません。

また、たくさん書かずにはいられないだけです。ブログ書くこと自体が趣味であり仕事ですから(笑)

 

例えば、1日1本だけ質の高い文章を発信していくスタイルというのがあってもいいと思います。

あなたがどういうスタイルで書きたいのか。それが一番大事です。

やりたくないことを強制されてやったとしても、それで結果が出るわけがありません。

 

また、かつて人々は文章を書くことで、その場限りの価値や楽しみを与えるだけではなく、この宇宙最大の力である「時間」に対抗しようとしてきました。

作者が亡くなっても、書いた文章は時代を超えて残るため、僕たちが読書をする時は「過去とつながりたい」と思いながら本を読み、そして文章を書く時には「未来へつながりたい」という想いを抱いて筆を取るものですが、

現在はとにかく質の低い文章が大量生産されているため、その場で読み捨てられ、忘れ去られて、人間の最大の欲求である「時代を超えた人たちと繋がりたい」という概念が急速に衰え始めています。

引用:アマゾンCEO「ブロガーがこんな記事を書いたら飢え死にするぞ。」ブログを書くのは女を口説くのと同じだと思え。

 

歴史に残るような文章ですか……。確かに、いつかはそんな文章書いてみたいです。

でも、最高の1本を書くことが目標になってそれを達成できたとして、生きている間に全く注目されることなく飢え死にした後に注目されるような人生は私は送りたくはありません。

生きている間に読者の反応を見て、私が何かを与えることができているのかもしれないという社会的意義を感じたいです。