あの人はセンスがある。とは絶対に言いたくない。
そのセンスに見えるものは、努力してつけたものかもしれない。その努力を否定することになりそう。
単純に、すごい!俺も追いつきたい!と思うだけ。
— ほっしー (@hossy_fe_ap)
それが生まれ持ったセンスなのか、努力によって得られたものなのか、私たちの知るところではありません。
ここではセンスを天才と置き換えて話します。
例えばイチロー選手。彼の名前を出して「天才」といって疑う人はいないかもしれませんが努力の天才ですよね。
彼は子供のころ「1年365日のうち360日練習」していたそうです。本当に天才なら練習なんてほとんどしなくていいはずですから。
天才など存在しない
よく言う「天才」については、私はこの世には存在しないと考えています。
きっと自分の知らないところで相当努力しているんだろうなぁ…と思うようにしていますよ。
だってそう思わないと、とても追いつけないじゃないですか。
学生さんなら勉強。社会人なら仕事をやっていると思いますが、何かしらいますよね。この人にはかなわないなと思う人が。
それって、本当にかなわないのかな?って考えたことありますか?
天才はあきらめだと思う
もし、天才を容認してしまえば、もうあなたの目標としている人に届くことはありません。
「天才」という言葉は、一種のあきらめだと私は思ってます。
私にとっては「天才」がこの世に存在するかどうかなんてのはどうでもいいんですよ。
そんな存在認めちゃったら、何のために自分が努力するのかわかんないじゃないですか。
やるからには勝ちたいですよ、私は。
どれだけ努力しても「いけるところまではいけてもあの天才にはかなわない」なんてモチベーションが出せません。
その人に失礼
あなたがい認めている「天才だよなぁ…」
と、思っている人は天才と言われることが嫌だと感じているかもしれません。
ずっと泥臭く努力してきて勝ち取った地位を天才という一言で片付けるわけですからね。
「いやいや、あなた天才だから(笑)」みたいな。
本当に失礼な行為だなぁと思ってしまいます。
素直に「すげぇ!俺も頑張らないと!絶対追いついてやる!」でいいじゃないですか。
それに、心配しなくても自分で「天才」と思っている人は慢心して勝手に落ちていくだけですよ。
まとめ
人を天才に仕立てるのは自分が努力しても無駄だということを正当化しているに過ぎません。
自分の無能を人に押し付ける行為。
なんという迷惑行為でしょうか。
尊敬しているあの人はきっとイチロー選手と同じ「努力の天才」です。
赤ちゃんを見てみるといいです。みんなスタートラインは同じなんですよ。
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