どうも、ほっしーです。
AmazonのKindle版で「坂口安吾の精神病覚え書」を無料で読むことができます。
この本、1949年に文藝春秋に載ったものなのですが、現代のうつ病人が読んでも非常に勇気づけられるので紹介しますね。
うつ病でも親密な人には癒やされるんだよ
まことに際どい神経の極度の不安定の状態である。
この状態では、特に親密な人々によっては、ともかく慰められ、力づけられ、反対に、面識なく、好意を持たない人間に対しては、面会は不可能であり、会えば、何をやるか分らず、病状を悪化させるばかりである。
個人的には、好意を持つ相手とそうでない相手の境目は非常に厳しいものになります。
普通の友達ではダメなんですよ。家族ですら厳しい場合もある。
ほっしーの場合、恋人やカウンセラーがそれに該当しますが、家族は該当しません。
うつ病を理解してくれる人というより、うつ病を持った一面とそうでない一面を理解してくれる人…が条件になってる気がしますね。
今も昔も患者は、理想の自分のせいでうつ病になっている
僕個人の場合であるが、患者としての僕が痛切に欲しているものは、たゞ単に健全なる精神などという漠然たるものではなく自我の理想的な構成ということであった。
僕はその時、思った。
精神病の原因の一つは、抑圧された意識などのためよりも、むしろ多く、自我の理想的な構成、その激烈な祈念に対する現実のアムバランスから起るのではないか、と。
患者たちが悩んでいる真実のものは、潜在意識によってではなく、むしろ、激しい祈念と反対の現実のチグハグにある、と見るのが正しいのだ、ということを。
彼らは、自分の悩んでいるものを知っているのである。
たゞ人に言わないだけだ。そして、人に縋ったところで、どうにもならないということを悟り、そういうところから厭人的になり、やがて、神経が消耗してしまう。
すごく良い言い方をすれば、精神病にかかる人は人として高尚すぎるんですよ。
悪い言い方をすれば、適当に考えられないめんどくさいやつ…とでも言いましょうか。
こうあるべき、こうでなくちゃならない。の理想地点が高すぎるがゆえに、自分に殺されちゃうんですよね。心を。
そしてこの悩みは、誰にも共有できるものではないと経験から知ってしまっている。
実はわかってくれる人に出会ってないだけかもしれないけど、もう疲れてしまっているんですよね。
そして人と関わることに疲れてゆく…どうせ誰も、自分のことなどわかってくれないと思いながら。
精神病者は犯罪者とは程遠い存在
人間はいかにより良く、より正しく生きなければならないものであるか、そういう最も激しい祈念は、精神病院の中にあるようである。
もしくは、より良く、より正しく生きようとする人々は精神病的であり、そうでない人々は、精神病的ではないが、犯罪者的なのである。 (退院の翌日)
この本に書かれている犯罪者の定義は、精神が錯乱した人物とは程遠いものでした。
動物的…つまり、自分自身を抑圧することができない、理性の効かないタダの動物だと。
ちょっと極端な発想な気もしますが、我々としては救われますよね。
感覚として不自然な感じはあったんですよ、ずっと。
そりゃ精神病の種類にもよるだろうけど、うつうつした気分からどうやって犯罪のエネルギーが生まれるのだろう…と。
さいごに:勇気づけられたあとに不安を感じたよ。
簡単な抜粋に終わりましたが、ここだけでも勇気づけられませんか?
今と微妙に日本語が違いますけど、読むことにそんなに支障はありませんでした。
無料だし、現代で言うブログみたいな感覚で読めます。しかも無料だし。
ぜひ、Amazonからダウンロードしてみてください。
この本が出たのは、1949年。
終戦から少ししか経ってないこの時代の描写に共感するというのは、怖くもあります。
精神病はあくまで病気なので、時代錯誤でないとおかしいでしょ?
医療、進化してないじゃないですかぁ…
いや、もちろん進化はしているだろうと思いますよ。
ただ、文面から読み取れる精神疾患者の印象がいまのこの時代と違いがほとんどない。ということが問題なんです。
微々たる進化しかしてないってこと。