

ですよねw
私もそんなイメージを抱えて、以下の本書を読みました。
サイコパスについて脳科学や心理学の視点から語られていて…
この本を読むことで、サイコパスについてのイメージが良く…はなりませんがwww
いくつか面白い点があったので、紹介していきますね(笑)
サイコパスの本ですが、うちのブログでよく取り上げる精神障害を考える上でもヒントになることがあったんですよ。
サイコパスの特徴
サイコパスってとにかく言葉のインパクトが強いので、サイコパス=悪い人みたいに思っちゃうんですよね(笑)
でも、特徴の一覧を見てみると、

と、思いました(笑)
- 外見や語りが過剰に魅力的で、ナルシスティックである。
- 恐怖や不安、緊張を感じにくく、大舞台でも堂々として見える。
- 多くの人が倫理的な理由でためらいを感じたり危険に思ってやらなかったりすることも平然と行うため、挑戦的で勇気があるように見える。
- お世辞がうまい人ころがしで、有力者を味方につけていたり、崇拝者のような取り巻きがいたりする。
- 常習的にウソをつき、話を盛る。自分をよく見せようと、主張をコロコロと変える。
- ビッグマウスだが飽きっぽく、物事を継続したり、最後までやり遂げることは苦手。
- 傲慢で尊大であり、批判されても折れない、懲りない。
- つきあう人間がしばしば変わり、つきあいがなくなった相手のことを悪く言う。
- 人当たりはよいが、他者に対する共感性そのものが低い。
この特徴見たときにパッと浮かんだのは「スティーブ・ジョブズ」です(笑)
どうですか?サイコパスの印象変わりませんか?
必ずしも極悪非道な人がサイコパスとは限らないんですよねぇ…。
サイコパスは頭がいいわけではない
サイコパスって、頭がいいイメージありません?
ルールを平気で無視し、しかも一抹の罪悪感も抱かず平然としていられる人間に対しては、ウソや不正を見抜くことはなかなか難しい。
それゆえ、「サイコパスは頭がいい」と、一般の人々は錯覚してしまうのです。
これは、常人と異なるふるまいをする人に特殊な能力を見出したがるという、認知バイアスのひとつといえます。
なるほど…サイコパスに限らずとも、普通の人と違うこと、発言をしている人を見ると「一瞬頭良く見える」のも同じかもしれません。

まあ、注意深く見ると全く大したこと言ってなかったりするんですが…(笑)
人って考えているようで考えていないんですよ。
大した情報も集めてないのに、パッと見の印象で判断しちゃうので、
サイコパスのようにおかしなことを平然で言ってると、さぞ正しいかのように聞こえて、自分が間違っていると錯覚を起こすのかもしれませんw
サイコパスという病名はない。 診断上は「反社会性パーソナリティ障害」
サイコパスと聞いて最初に想像するのは「病気ではないか?」ですよね。
たとえば精神疾患なのでは?とか。
でもどうやら、それは違うようなんですよ。
今日の精神医学において世界標準とされている『精神障害の診断と統計マニュアル』の最新版(DSM5)には、サイコパスという記述がありません。
精神医学ではサイコパスというカテゴリーではなく、「反社会性パーソナリティ障害」という診断基準になります。
「サイコパス」は病気ではない、定義されているのは「反社会性パーソナリティ障害」ってこと。
精神障害系はほんとに、「こんなのも病気にしちゃうの!?」ってほど病名がたくさんあります。
サイコパスは、重度の統合失調症などとは異なり、妄想や幻覚といった症状はありません。まともな意思決定ができないような心神喪失・耗弱状態ではなく、むしろ意識は明晰であることが、今日ではわかっています。
他の精神疾患の場合、患者自身が悩んだり、苦しんだりします。サイコパスに関しては、本人にその状態に対する不快感がほとんどないのです。
精神疾患の場合うつうつした空気を発してるから、周りに迷惑がかかることもありますよねw
私自信が精神疾患なので、そこは体感的によく理解できます。
病気によって歪められた価値観を素の状態で持っているのがサイコパスってことでしょうか。

いやぁ、そりゃ嫌がられるよなぁww
ADHDとは強い相関関係にある
サイコパスの特徴のひとつに、衝動的で計画性がないということがよく挙げられます。
これは、いまではおそらくADHDを合併しているためだろうと言われています。
サイコパスは、ADHDと高確率で相関があります。
ADHDというと、子どもがなるやつでは? というイメージが強いと思いますが、最近では大人もADHDで苦しんでいる方が居ます。
- 衝動性
- 過活動
- 不注意
近年は大人になっても残る可能性があると理解されている。
その場合は多動ではなく、感情的な衝動性(言動に安定性がない、順序立てた考えよりも感情が先行しがち、論理が飛躍した短絡的な結論に至りやすい)や注意力(シャツをズボンから出し忘れる、シャツをズボンに入れ忘れる、ファスナーを締め忘れるといったミスが日常生活で頻発する、など)や集中力の欠如が多い。
ADHD=サイコパスではありません。
サイコパスだからできること
大企業のCEOや弁護士、外科医といった、大胆な決断をしなければならない職種の人々にサイコパスが多いという研究結果もあります。
私は会社を経営しているわけではありませんが、自営業で自ら価格交渉を行ったり、外注さんにお仕事を任せたりします。

と、幾度となく思ったことがあるんですよw
ビジネスに日本の義理人情を持ち込むとおかしなことになるので、一定のサイコパスさは必要なんです。
強くプレッシャーの掛かる場面でも、サイコパスなら乗り切ってしまうんでしょうなぁ。そこはちょっと羨ましい。
Live Science誌は今月2日、「ADHDの人は、ワーカホリックである割合が通常の人に比べて高い」という研究結果について掲載しました。
ワーカホリックとは、家庭や健康などの私生活を犠牲にしてまで、仕事に打ち込む「仕事中毒」のこと。 今回、ノルウェーのベルゲン大学で行われた研究では、16,426人の大人を対象に調査を実施。
すると、ワーカホリックである人の33%にADHDの症状があり、対して、ワーカホリックでない人の中ではADHDの割合が13%に留まったとのこと。
なるほど…確かにサイコパスとADHDの相関が強いというのもうなずけますな。
これは当事者にとっては、良い方向と悪い方向の振れ幅が大きそうですよねぇ…。
自分の大好きな仕事で裁量を持ってできるなら、とんでもない力を発揮しそう。
定形仕事の多いサラリーマンとかは、肌に合わないんじゃないでしょうかねぇ…。
私たちは、自分の感情を「正常」と思いすぎている?
人類が持っている性質は、天から与えられたというような詩的なものではなく、種として生き延びるのに便利だったからこうなっているにすぎません。
そのひとつが今ほど言った愛情、愛着です。愛情や友情、助け合いといったものは「美しい」と思われていますが、「美しい」と脳が勝手に判断しているにすぎないとも言えるのです。
ここ、重要な指摘ですよね。
ついつい私たちは、誰もが普遍的に持っている能力や考えのことを「普通」と定義します。
しかしその「普通」は、みんなが利益を得られるように種として進化した結果。
精神障害についても同じですよね。
今のこうした世の中だからこそ、「日常生活を普通に送れない」から「障害」認定されてるわけ。
たとえばAIが普及して人間が労働から開放されて、お金も自動的に入ってくる仕組みが整備されたとしましょう。
おそらく、入院しない程度の症状の人は精神障害扱いから外れることになるでしょうな。
だって困りゃしないじゃないですか。
一定の金額が懐に入ってきて、「働かなきゃ普通の人じゃない」という理想の自分に責められる必要もない。
結局、その時代時代によって「正常」と「異常」はコロコロ変わるってことです。
そう考えると、自分が精神障害を持っているからといってそれほど悲観する必要はないのかも。
ある意味、勝手に決められているだけなのですから。
サイコパスについての本でしたが、人間とはなにか? 障害とはなにか? 正常とは? と、哲学的な問題を考えさせられました(笑)