勉強においても仕事においても…。
質と量どちらを優先するべきか問題については議論が付きませんよね(笑)
でもプロと言われる人たちは、ゴールを見定めてひたすら「量」をこなしているようです。
で、最近世界的アーティストになっちゃったピコ太郎さんがインタビューで面白いこと言ってました。
ピコ太郎こと古坂大魔王は数を打っていた!
まあ数は打ってます。打率としては0割0分2厘ぐらい。ダメな助っ人外人ですね。そのうち1個がはまったら、この頑張った結果たちがあとから一気についてくるだけの話。https://t.co/unmXbByh1f
いいこと言ってるw
— 星野 良輔 (@hossy_fe_ap)
ピコ太郎こと古坂大魔王さんは、同期が「くりーむしちゅー」だそうで。
そりゃ、キャリア長いですよね。
0割0分2厘はなかなかひどい成績ですが、1個がはまったらこれまで頑張ってきたものがどどどーっとついてくる感じがするという話は、勇気もらえます。
ピコ太郎のインタビューで勘違いしてはいけないこと
とにかく数撃ちゃ当たる。と思ってしまうこと。これは違います。
当たり前ですが、自分が目指すべきゴールをどこに設定するべきか?強みは何か?何を達成したいのか?は頭のなかに入れておくべき。
弓矢で的を射るのに、適当に打ちまくってたらそりゃいずれ当たるかもしれませんが、「的を見据えて狙って撃ちまくる」ほうが絶対当たりますからねw
仕事も勉強も、射る的を決めてから数打つ!ということを意識して取り掛からないとダメです。
プロの小説家も同じこと言ってたよ
プロの小説家、一田和樹さんにお話を伺ったときにも同じようなことを言っていました。
彼は過去に新人賞を取った人たちの作品を見て分析、当時の時代背景、審査員たちなど、どこかに「法則性」があるのか考えたそうです。
結論としては、そんなものない「運」だ。と思って、運を高めるために打席に立つことを意識したんだとか。
結局、「プロ」と言われる人たちは、ゴールを設定した上で最大の質、最大の量なんですよねぇ…。
プロのなった人たちの努力量というものは、いつもいつも圧倒されるばかりですが、プロになるまでの血の滲むような努力、膨大な時間を知ると、勇気がもらえます。
人によってはより辛くなるかもしれません。
と言ってしまって、考えを放棄することが精神衛生上いいですからねw
天才だと一緒くたにされて努力を否定されるトッププレイヤーたちは可哀想だなぁと思うと同時に、だからずっとトッププレイヤーでいられるのかという気もします。
だって、彼らはこれからも努力し続けるんですよ。
自分には才能がないから無理。諦める。ぼちぼちでいいよ…。
なんて言って勝手に打ちひしがれて努力辞めちゃうんじゃ、追いつけるもんも追いつけないですよね。
嫌いなことを努力しちゃダメですよ
努力=辛いものという固定観念が日本ではありますが、それは我慢です。努力じゃない。
これはトップブロガーで「やぎろぐ」を運営する八木仁平さんも言ってます。
継続は結果であって、頑張って作り出す状態ではないんです。
得意なこと・好きなこと → 楽しいから継続できる → 結果が出る というのが正しい形であって、
頑張って続ける→結果が出る
では絶対にありません。
引用:やぎろぐ
私も、自分が好きだと思いこんでいたものを努力し続けていた時期があります。
本当はやりたくなかった仕事なのに、それを必死で頑張った結果、双極性障害という精神疾患になっちゃいました。
私がやってきたことは、「努力ではなく我慢」だったのです。ここを間違えると、ただ耐えるだけの修行になって大変ですよ。
特に精神疾患とかなっちゃうと、取り返しがつかない場合がありますからね。
ゴールを見定めて「好きなこと」で数打ってますか?
的に当てるためには、的に当てるんだ! と的を見つめそこに当てるつもりで矢を放つ。最初は当たらなくても回数を重ねるごとに精度が増して、いずれ当たる。
数撃ちゃ当たるといっても、的が絞りきれていなきゃダメ。また、嫌いなことを努力したって、人並み程度にしかならず、大成することはできません。最悪、病気になるし。
あなたが今やっている努力。本当に自分の好きなことでしょうか?我慢になっていませんか?
我慢は身体に毒ですよ…。先程も述べたように、精神疾患のリスクが10倍以上。いや、100倍以上になるでしょうな。(筆者体感値)
好きなことが見つからない方は、とにかく今やりたいことをやってみるというのも手です。
私はスマホのソシャゲ、YouTubeの垂れ流しから入って今に至りました(笑)