どうも、双極性障害と戦うブロガー星野 良輔(@HossyMentalHack)です。
医療関係の方に質問いただきました。
「精神病患者への偏見が無くなっても、患者が孤立してしまう事実は変わらない(病気のせいとはいえ周りに暴言を吐く人はやはり疎まれてしまうため)。解決するには精神医学の発展しか道はない。」と思いますか?
精神疾患は、その実態が掴みにくいことから偏見、差別の対象となりやすいですよね。
では、この世界で精神疾患に対する偏見がなくなったとしたら……患者は孤立することがなくなるのでしょうか?
結論としては、精神科医療が今のままであれば、患者が孤立することは避けられないでしょうね。
精神疾患の偏見がなくなっても患者が孤立する理由
双極性障害で考えてみよう
双極性障害はハイとローを繰り返してしまう病気。
ローのときはうつ状態なので、まぁほたっといてくださいって感じで、そんなに迷惑にもならないかもしれません。仕事はできませんが(笑)
しかし問題はハイのときで、ただハイテンションなだけではなく、攻撃的になってしまうんですよ。
ひどい人では仕事できない相手に対して人権を無視するような罵声を浴びせてしまうこともあります。
しかしこれは、躁状態の症状の1つなのです。
偏見がなくなり、病気が理解されたとしても
「これは双極性障害の躁状態の症状だから仕方ないよ。みんな我慢しよう。」
という話になるんでしょうか?……なりませんよね(笑)
すでに市民権のある病気「認知症」で考えてみる
では、例えば認知症はどうでしょうか?
認知症とは「生後いったん正常に発達した種々の精神機能が慢性的に減退・消失することで、日常生活・社会生活を営めない状態」をいいます。
引用:厚生労働省
認知症になると介護が必要になる場合がありますよね。
認知症にも双極性障害の躁状態のように罵声を浴びせてしまう行為があるようです。
しかしこれも、双極性障害と同様に認知症の症状のひとつですよね。
社会で認知症を見ようとかいう美談やめようよ。無理に決まってんだから。なんで見ず知らずの爺婆に罵声浴びせられるかもしれないのにそんなことしなきゃいけないんだって、普通に考えたらわかるでしょ。キじるしで終わらせられるほどみんな暇じゃないわ
— さっちい (@sy0016g)
2016年8月2日
はぁーーーー母の大声罵声はいつ終わるんだろう。。。私の精神はいつまで持つのだろうか。。。いっそのこと、認知症よりガンのほうがマシだと思ってしまう自分がいてる。。。
— みゅう (@10myu10)
相手は認知症だとわかってる。だからどこかで気持ちに折り合いつけて切り替えんとやってけん。杖で殴られようが、タオルで叩かれようが、罵声浴びせられようが、仕事や。でも辛いよ。自分も人間だから。
— ずすみん@Val鯖 亜沙様依存症 (@misuzu_fletcher)
当然のことだと思いますよ。
耐えられるほうがむしろおかしい。
いくら相手が病気だからといってなぜ自分がここまでつらい思いをしなければならないのか?と考えることは自然なことです。
すでに市民権を得ている認知症でさえもこの状態。
精神疾患が市民権を得たところで孤立を防げるわけがないでしょうw
理解できても許せるわけではない
先ほど例に出した認知症。
明らかに病気であり、これまで罵声を浴びせたりすることのなかった穏やかな人でさえも病気の症状として誰かに罵声を浴びせてしまう。
それは、誰しもがわかっている「事実」です。
でも、だからといって許せるわけがないですよね。
こちらは何も悪くないのに罵声を浴びせられるということに関してもまた「事実」なわけです。
精神疾患は偏見がなくなっても疾病利得と言われかねない
精神疾患に関しては、偏見がなくなり私たちの生きやすい世界が訪れたとすると、精神疾患者だからと腫れ物に触るように扱われる可能性もあります。(すでにそうなっているかもw)
すると中にはこう考える人もいるでしょう
そりゃそうですよ。
いくら精神疾患でこちらが苦しんでいるといえど、健常者からしてみたら知ったこっちゃねーわけです。
私たちが精神疾患となることで得た権利の方ばかりが目につくことも仕方がない。
そして私たちはまた社会から孤立するのです。
結局のところ、治すか症状を抑え込むしかない
精神医療が未発達な今、私達ができることはとにかく自分で病気をコントロールするしかないということです。
私も双極性障害を寛解状態に持っていくために薬物療法以外にも様々なことを試してきました。
ほとんどの精神疾患は、血液検査の結果、○○の数値が異常に高いもしくは低いので○○病ですね。ということができません。
先生の問診を受けて、患者の様子を見た精神科医の長年の「勘」が診断結果になるわけです。
これに加えて、症状をく地で説明することが異常なまでに難しいので、差別、偏見はそう簡単になくなるものではありません。
何より、精神疾患の原因究明が待たれますが、その後も偏見の目がなくなることはそうないと思います。
外貨をすべてAIが稼ぐようになり、私たちはベーシックインカムによって仕事の内容が「お金を使うこと」に変わったとき、偏見がなくなるのかもしれません。
結局のところ、偏見や差別を生むすべての要因は「こいつは仕事で使えるのか?」という考え方なんじゃないですかね。