学生でいじめにあっていた時は、必死に空気を読もうとして全く読めてなかったなぁ。
まぁ今読めるようになったのかと言われるとわかんないけど、少なくとも、もうどうでもいいやと思ってからは生きるのが楽だということ。
— ほっしー (@hossy_fe_ap)
空気を必死に読もうとしていた人生から開放されたとき、人生はずいぶんと生きやすくなったなぁ。と感じました。
空気を読み過ぎるあまり、個性が完全に消えてしまい、存在していないも同然となっていた自分がいたからです。
わがままに生きる人が強い
そもそも、空気を読むという行為に人間関係を円滑にする要素などあるのだろうかと思う。自分を押し殺してまでその環境に合わせるならそんな環境いらないなぁ。
なにかに従属して生きざるを得ない状況だったから仕方がなかったのかもしれないけど…
— ほっしー (@hossy_fe_ap)
必死に空気を読もう生きていた昔の俺は、スクールカーストの頂点から見たら相当滑稽な姿に写ったろうよ。
自分でもそれはわかってた。
いつの時代もどんな環境も、自分らしく生きてるやつの方がかえって嫌われない。
— ほっしー (@hossy_fe_ap)
いじめにあっていた学生時代も、私なりに必死に生きていたと思います。
ただ、スクールカーストの頂点に立つ人間というのは、個性が強いという特徴がありました。
これは社会に出てからも変わりません。
社会に出てからも
働き出してからも、上に好かれようと必死にこびてるやつってのはホント滑稽でしかなかった。
日本社会は悲しいことに仕事ができなくても上に好かれれば昇進できちゃう会社もあるからね。
ただ、その昔のやり方でいいと本気で思ってるならそれは恐ろしいことだよね。
— ほっしー (@hossy_fe_ap)
上に好かれるということが、仕事で成果を出すこと以外にもたくさん手段があることはビジネスにとってプラスとなるのかマイナスとなるのか。
プラスとなる側面もあるでしょうが、日本の場合はマイナスが多いでしょう。
人に媚びることがうまくできない私がいくら滑稽だと言ったところで、負け犬の遠吠えとなってしまうことも承知の上です(笑)
まさに自分がわからなくなっていた
稲葉浩志の孤独のススメって曲の歌詞にあるけど
「必死に空気ばっか読んでたら自分の名前さえわかんなくなっちゃうかもよ」まさにそれ。ただのうのうと生きてるに過ぎなかった。生き恥を晒してるようなもんよ。何も主張しないならそれは俺にとって死んでるも同然だったなぁ。
— ほっしー (@hossy_fe_ap)
たしかに 、空気を読んで行動しているときは、波風立てずに生きていくことが可能です。上の人間からも嫌われることはありませんでした。
でも自分のやりたいようにできないことがどうしても我慢ならなかった。これが正しい生き方というなら、人生はつらすぎると。私はそう考えていました。
自分の感情を出したい。でもうまく出せない。そう悩んでいました。
空気読み人生を脱出した方法
空気読み人生から脱出した方法はたった一つしかなかったなぁ。
当時はそれが処世術だと勘違いしていて、もっとうまく生きる方法はないだろうかと本を読んでみたことが、新しい人生の価値観をもたらすきっかけになった。
— ほっしー (@hossy_fe_ap)
人から「空気ばっか読む人生つまんないでしょ?」なんて言われても、頭では分かってても行動に移せなかったりしたんだよね。
本読んで納得して行動して初めて理解したみたいなそんな経験だったなぁ。
— ほっしー (@hossy_fe_ap)
私が読書を始めた中で一番衝撃的だったのは、わがままで個性の強い人のほうが、結果的に嫌われないということです。もちろん限度はありますがw
人から反感を買いやすい人生にはなってしまいますが、自分を好きだと言ってくれる人も増えます。
八方美人的な生き方をしているときは、誰からも嫌われませんが、誰からも好かれませんでした。
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