「Fラン大学でバカにされてきたんだ…絶対に優秀になってやる…」
若かりし頃の私は、すべてのことを完璧にこなそうとしていました。
最低でも、同期の中ではいちばん優秀でなければならないし
5年選手の先輩よりも優秀でなければならない…と自分に課題を課していた。
1年目の新人がそんな完璧にこなせるはずもない。
10年選手だって完璧である必要はどこにもないはずなんです。
それでも当時の私は、自分の能力以上のものを求めていました。
周りも引くほどの闘志の炎は、たった半年で消え去ることになります。
…消え去るというよりは、自分の身を業火の炎に晒したといったほうが適切かもしれません。
そう、私はうつ病になったのです。
職場近くで数ヶ月過ごしましたが、上司により実家に強制送還されることになりました。
スマホと財布だけ持って、新幹線に乗った
- 会社から離れて清々しい気持ち
- 家族に対する申し訳ない気持ち
- よくわからない重圧
うつの症状のせいで体はぐったりしていたものの、乗客の中で私ほど頭が忙しかった人はいなかったのではなかろうか…。
頭と体の働き具合のアンバランスさに疲れ果てながらも、地元「小倉駅」の地を踏みました。
半年ぶりの地元の空気に対する感想は、もちろんありません。
うつ病はすべてを無感情にする病ですから。
母が車で迎えに来てくれた
もう何年も会っていなかったような気がしますが、たった半年なので母の見た目に変化はありません。
母の表情は、安心、不安、失望。さまざまな感情が混じっていだと思います。
「思います」と表現したのは、当時の私には「失望している」ようにしか見えなかったから。
車の中で特に会話をすることもなく、気まずい空気が流れていました。
あのとき母は、何を考えていたのだろう。
帰宅して最初の夕食は、私が好きなモツ鍋でした。福岡の名物なんです。
気持ちがフッと軽くなった気がしました。
あからさまだけど…心づかいが嬉しい。
父も母も何も聞いてこない。
でも、あまりにも笑顔が多い気がする。
腫れ物に触れられるような扱いが、申し訳なくて、とても耐えきれませんでした。
家族を安心させるため、声を振り絞って言いました。
「いろいろあったけど、元気だよ。」
笑顔でいるのに精一杯。
私の「演技」で家族がだまされなかったことは、すぐに分かってしまいました。
このとき改めて実感したわけです。私はうつ病であると。
▼いまは寛解しています
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