どうも、ほっしー(@HossyMentalHack)です。
世の中には老害がたくさんいるわけですが、実際に老害って定義されていませんよね。
20代の私もいつかは老害になってしまうかもしれませんが、私の中の老害の定義も世の中の定義と近いのだとすれば、私は老害になることはないと確信しています。
今回は、20代の私が考える老害の特徴をお話します。
ちなみに、先に言っておくと、老害の定義に年齢は含まれません。
年齢なんてものは全く意味がないただの数字だと思っているので。
20代の私が考える老害の定義
1.本人が変化しない
老害と言われる人は昔からずっと変わりません。
新しいことに挑戦しないんですよね。
おそらく、過去の成功体験にとらわれているため、新しいことができないのでしょう。
新しいことができないとなると、考え方も固定化されてきて、自分どころか他人の変化も許容できなくなってきます。
2.他人の新しい挑戦を応援できない
他人の変化も許容できなくなるというのはまさに老害を見分ける好例です。
以前、新卒フリーランス宣言をしたブロガーさんを取り上げたのですが、彼には多くの「老害」からコメントがあったようです。
おそらくこんな感じのコメントがあったのでしょう。
赤の他人が何かをしようと宣言したのになぜケチを付ける必要があるんでしょうか?w
応援できないなら黙っていればいいと思うのですが……。
意味不明な正義感は迷惑なだけなのでやめておいたほうがいいでしょうね。
3.否定から入る
批判的思考はいいことですが、否定から入るのは良くありません。
先ほどの新卒フリーランスの例を見ていただければわかりますが、老害に肯定的なコメントはないです。
「害」という文字がつくだけあって、本当に害しかないんですよね。
4.個人攻撃が趣味
老害は個人を攻撃することを好みます。
誰かを攻撃して相対的に自分が有利になっていると錯覚するんですよ。
よく「論破」しようとしてくる人、「論破」が勝利だと思っている人も老害の好例。
論破に何の意味もなければ何の解決策にもならなければ、良いことは1つもありません。
勝ちと負けが誰かの価値観で勝手に決められ、世間的に負けだと言われたほうが叩かれて終わりです。
なんて不毛な争いでしょうか。暇すぎますねw
5.年上は無条件で崇拝されるべきという悪しき習慣の持ち主
「年上は敬うべき」という言葉には強烈な違和感を覚えます。
なぜ、年齢が上というだけで私たちは年上を神のごとく崇拝しなければならないのでしょうか。
私は年上にも年下にも最初は敬語を使いますし、敬意を持って接します。
そういう意味では「年齢関係なく敬うべき」だとは思います。
老害にならないようにしょう
これまで述べてきたように、老害は年齢とはあまり関係ないと私は考えています。
20代前後の若い人でも、老害だなぁと感じる人は多くいますよ。
特にネット上では論破大好き少年とかいるので、そういう方は例外なく老害認定ですね(笑)
私は基本的にこの人老害だなぁと感じたらもう相手にしません。
老害に何を言っても無駄ですし、必ず受け入れるということをしないので、そっとしておきます。
老害は相手にされないと寂しくなって新しいターゲットを探しに行くのでw