どうも、ほっしー(@HossyMentalHack)です。
私には6つ下の知的障害の弟がいます。
私自身も双極性障害という精神障害を持っているので、少し区分は違うものの障害者という位置づけになるでしょう。
2016年7月26日未明に相模原障害者施設襲撃事件がありました。
この凄惨な事件は、世間に衝撃をもたらしましたね。
ネット上では様々な議論がかわされています。
障害者を擁護する人、犯人に賛同する人など。
私自身が障害者であり、弟が知的障害をもっているという立場で思うことを正直に書いていこうと思います。
正直に言うと複雑な気持ちです
今生きている弟と私自身のことを否定することになるので、複雑な気持ちですが、障害者は生まれないほうがいいという意見に賛同しそうな自分がいます。
障害者だろうがなんだろうが、人権は平等だということは言うまでもないでしょう。
ただ、実際に障害者を2人も抱えた父と母の苦労を思えば、生まれてこなければよかったと思ってしまったこともあります。
弟の知的障害と私の精神障害は軽度なほうですが、家は荒れていました
弟の知的障害も、私の精神疾患も軽度なほうですが、やっぱり異常は異常です。
弟は今でこそ大人になって意思疎通はあまりできないものの、健常者と見た目は変わらない状態です。
しかし、子どものころ激しい癇癪を起こすと手を付けられないほどに暴れまわっていました。
私は田舎の村社会の小学校でイジメに合い、不登校に。
そのときからどうやら双極性障害がなったようで、気分の浮き沈みが激しく、両親には迷惑をかけました。
目を話したらなにをするかわからない弟をみながら、私の学校復帰に尽力してくれました。
家の中では荒れに荒れていましたね。
弟が癇癪を起こすと私も呼応するように癇癪を起こし、近所の人に煙たがられたそうです。
当時はマンションに住んでいたため、上の階の人、下の階の人、隣の人から文句を言われたこともあるとか。
私はそれを知りませんでした。おそらく母が隠していたんでしょう。
父は過労で入院し、母はいつも1人で戦っていた
父はエンジニアという仕事柄、深夜に帰宅し早朝には家を出ていきます。
土日も出社することが多く、一緒に遊んだ記憶はあまりありません。
母も父の仕事が大変なことをわかっていましたから、私たちのことについてはあまり話さなかったそうです。
悪いことは重なり、父が甲状腺機能亢進症(バセドウ病)で入院することになってしまいます。
症状が重く何年も入院していましたが、母は頻繁にお見舞いに行っていました。
その間、弟が癇癪を起こすこともあれば、私が登校したりまた引きこもったりを繰り返していました。
しかし、泣き言1つ言わずにすべてをこなしていた母、尊敬以外の何物でもありません。
自分が母と同じ立場に立ったらどうなのか
昨日の殺害事件の不気味さは、「障害者が安楽死できる世界を」という容疑者の発想が、出生前診断の結果を受けて94%が染色体異常の胎児の中絶を選ぶという我々の社会の現実と通底している点にある:新型出生前診断の倫理的ジレンマと来たるべき社会 https://t.co/S2OD1qeoce
— yusuke miyazaki (@parages)
94%もの親が、自分の子どもに何らかの異常があると出生前診断で結果が出た場合、中絶を選ぶそうです。
あなたはこの件についてどう思うでしょうか。
私は、自分が精神障害者であり、弟が知的障害者であるという立場でありながら、この件については94%群の属するだろうなと考えています。
生まれてこなければいいとは言いませんが、もし避けられるなら避けたほうがいいと思うのです。
母がした苦労を、自分の妻や自分自身がすることになるのかと思うと、それはとても耐え難い。
もちろん、自分が親の立場になるとわかった場合、中絶という手段は取れないかもしれません。
お腹に宿った命ですから、そう簡単に決断できる問題でもないでしょう。
ただ、実際どうなるかは別として、現時点の立場では、出生前診断の中絶には賛成と言わざるを得ません。
障害者が生まれることで崩壊した家庭をいくつも知っているから
私は自ら、私の人生と弟の人生を否定するようなことを言っていますが、これが偽らざる気持ちです。
何度も申し上げますが、私と弟は軽度なほうであり、母が偉大だったからこそ今こうして家庭円満なわけです。
しかし、同じ軽度であっても、耐え切れず家庭が崩壊してしまったり、重度の場合は施設に強制的に入れてしまって逃げるように逃亡した家族を私たちは知っています。
そんな現実を見せられて「生まれる前に命の選別をするなんて異常だ!」という声に無条件に賛成することはできないんですよ。
障害者施設で働く職員のストレスもほんの少しだけ分かる
障害者施設で働いている人たちの気持ちはわからないけれど、ネットで情報を集める限り、職員の人権は無視されているような感じもする。
「相手は障害者だから」で済まされない問題もきっとあるんだろう。
すごい闇を感じる。
— 星野 良輔 (ほっしー) (@hossy_fe_ap)
弟が通っている施設にもたくさんの職員がいる。私が足を運んだときには入所者から罵声を浴びせられている職員もいた。でも私は正直、「あれが仕事だもんね」と思ってしまった。
私も「障害者相手だから仕方ないよね」という職員と障害者双方の人権を無視した形になるのだろうか。
— 星野 良輔 (ほっしー) (@hossy_fe_ap)
母がやってきたことを仕事としてもっと重度な人と向き合い、もっと大人数の人から毎日のように罵声を浴びせられているのだろうかと想像をすると……
今回のような事件が起きても致し方ないのかなと思ってもしまいます。
当然、許される行為ではありませんが、「障害者は守られるべき」という武器で「健常者の人権を無視」することは果たして許されるのでしょうか。
私には正しい答えがわかりません
ごめんなさい、これだけいろいろと並べ立てながらも正直なところまとめられません。
「障害者は生まれるべきでない」と言ってしまえば、弟と私の人生を否定することになります。
「障害があろうとなかろうと関係ない!人間だ!」という意見も賛成ですが、そうとも言えないんです。
自分が障害者であり、弟も障害者である我が家の凄惨な過去を思い出せば、本当に綺麗事だけを並べ立てることが正解なのか?と疑問に思ってしまいます。
私はブログを書くとき、結論があってその根拠を並べるという構図をとっていますが、今回は全くまとまっていません。
でもなぜだか、書かないといけないかなという気持ちになって書きました。
すみません、答えはわかりません。
私は非常にフクザツな心境です。