不登校になった小学生の息子を復帰させた具体的な方法を母親に聞いた。

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どうも、双極性障害と戦うブロガー星野 良輔(@hossy_FE_AP)です。

私は小学校3年生から学校に行かなくなりました。

 

母によると、双極性障害になって会社をやめて戻ってきた時よりもひどかったそうな。

 

会社をやめてもどってきたときの事は星野良輔のプロフィールに書いてあるのでよかったらどうぞ。

 

このページでは、小学校3年生から学校に行かなくなり廃人となった私を小学校5年生で社会復帰復帰させるために苦悩した母の話を書いていきます。

 

 

なぜ学校に行かなくなったのか

原因は不明です。

母の話では、5月にあった運動会が終わってから元気がなくなってきたんだとか。

りょうすけ不登校

良すけと書いているのが私のことです

 

少しずつ学校に行かなくなった様子が見て取れますね。

このとき、まだ母もどのように対応したら良いかわからなかったようで良く私を怒鳴ったり叩いたりしていました。

 

母親が怖い。怒られることが怖い。家に居場所がないということだけはハッキリ覚えています。

 

不登校になった息子を見て最初に母が思ったこと

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息子は甘えているだけだ

なぜ学校に行かなくなったのか原因を聞いても何も答えないので、甘えているだけだと思ったそうです。

父も母もそのような経験がなく、どう対応したら良いかわからないという混乱と葛藤があったのかもしれません。

 

無理やり玄関まで引っ張られたり、靴を履かされ外に出されたりしていました。

 

このまま学校に行かなかったら将来がない

ずっと引きこもっていたら、息子の将来はなくなると心配をしていたそうです。

私は長男で、次男は知的障害を患っているので、せめて長男だけでも……という期待があったと母は言っていました。

父は毎日仕事で忙しく顔を合わせることもなかったので、より母親としてのプレッシャーがあったのでしょう。

 

また、学校に行かなくなることがいじめの原因になるのでは?と考えていたとも言っていましたね。

 

不登校になった息子は廃人になった

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家族に対して怯える息子

毎日毎日、朝になると「学校に行きなさい!!」と激しい叱責を受けていたことを記憶しています。

いつも母親を怒らせないようにどうやって過ごすべきか私は考えていました。

 

実はこのとき最も精神状態がひどかったので記憶が曖昧です。

 

靄がかかっているような感じ。

今の精神科の主治医ももこの経験が双極性障害の引き金になったかもしれないと語っていました。

うつ病とは何が違う? 双極性障害(躁うつ病)を大まかにつかもう!

2016.07.25

 

学校の先生からのプレッシャー

自宅に様子を見に教師がときどき来ていたそうなのですが、それも母親にとっては激しいプレッシャーだったようです。

 

先生がせっかくうちに足を運んでくれるのに、あんたは全然学校に行こうとしないし、先生が来たら泣くし……。

私はとりあえず先生に迷惑かけることが嫌だったからあんたを怒ってばっかりだったねぇ。

 

ほっしー
あーたしかに。なんか先生が一所懸命母さんを止めてたような気がする(笑)

 

しかも、学校の先生から毎日日記を書いて提出してくださいって言われてたのよ。

あれがすごい嫌で嫌でたまらなくてねぇ。まぁ、ほとんど嘘ばっかり書いたんだけどさ(笑)

 

当時の教頭先生から「あなたが悪い」と言われる

教頭にあなたが悪いって言われたんよ。なんでそんなん言われないけんの!?はぁ!?って頭にきてね。

日記書きたくもないのになんでやらないかんのや!!嘘書きよったのに!!なんもならんやんね!?

先生にはもううちに来ないでください。って言って学校と決別しようと思ったね。

 

そのあと先生が何度もうちに謝りに来ていたのを見ていますが、母は聞き入れず先生を門前払いしていました。

私はなんだかそれが嬉しかった。

母にとっても激しいプレッシャーだったようですが、私にとっても先生が家に来るのは心が落ち着かなくてたまりませんでした。

 

カーテンの隙間から友達を見る

全く外に出られなくなり、外に対する恐怖を覚えるようになった私ですが、カーテンの隙間から友達が遊んでいたり学校から帰ってくるところをみていたそうです。

 

そのときのあんたをみて、「このままじゃこの子はダメになる」って考え方を変えたんだよね

 

私はどこか羨ましい気持ちでカーテンの隙間から外を覗いていたように思います。

小学校3年生から不登校になった私は、家が全てという感覚に陥って外の世界を忘れていたんですよね。

 

少しワクワクした気持ちで外を眺めながらも、目があったらすぐに隠れていました。

とても怖かったんですよ。他人の視線が。

家を居心地の良いところにしてあげようと考え方を変えた母

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母は急に優しくなった

まず、朝起きて学校に行きたくないと言っても怒ることはなくなりました。

 

そうね。行きたくないなら行かなくてもいいよ。

 

最初は戸惑ったような気がしますが、学校に行かなくても良いと言われてなんだか私は救われたような気持ちになっていました。

 

家で一緒にゲームをしてくれた

学校に行ってないのにゲームをしてはいけないと怒られ続けていたので、家で好きなことが全くできない状態になっていました。

常に体操座りをして無表情でテレビを見るという日々が続いていたと母は言っています。

 

そんな私を元気づけるために、スーパーファミコンのドンキーコングを昼から晩までずっと一緒にやってくれました。

 

もちろん毎日ではありませんが、忙しい毎日の中私にかなりの時間を割いてくれたことを覚えています。

 

家で身体を動かせる環境を整えてくれた

ゲームばかりして身体がなまってはいけないと考えたのか、母はテーブルを卓球台にして一緒に楽しんでくれました。

ネットなんかはなかったので、漫画の単行本を置いてやっていたそうです(笑)

 

すごい楽しそうに卓球してたよ。一緒にゲームしたり卓球したりして私も楽しんでたらいつの間にかあんた笑うようになってた。

 

ほっしー
実は卓球はあまり覚えてないけど、一緒にゲームをしてくれたことはよく覚えてるな〜。母さん超下手くそで面白かったよ(笑)

 

外出恐怖症を改善するためにやったこと

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自分のペースで1歩ずつ

家ではすっかり元気になった私ですが、相変わらず外に出ることはできませんでした。

とにかく誰かに見られたらどうしよう。「学校は?」と聞かれたらどうしようという恐怖がつきまとっていたんです。

 

小さな成功体験を重ね、自信をつけさせる

星野家は当時マンションに住んでいました。

マンションのロビーには郵便受けがありますよね。

 

郵便受けの荷物とってきてくれたら、あんたの欲しいお菓子買ってあげるよ。

 

お菓子に見事に釣られた私は、怯えながらもマンションのロビーに向かいます。

しかし、最初は玄関から出ることも無理だったので、少しずつ少しずつすすめることにしました。

 

  1. 玄関から出る⇛すぐに家に入る
  2. エレベーターのスイッチを押して帰る
  3. ロビーまで降りて走って家に戻る
  4. 郵便受けにタッチして戻る
  5. 郵便受けの荷物を取る!お菓子ゲット!

 

といったように、たかだが郵便受けの荷物を取るだけでこれだけの小さな成功体験を重ねました。

母に褒められることが嬉しくて、頑張れたような気がします。

このとき「そのぐらい誰でもできるよ」と言われていたら私の外出恐怖症は治らなかったかもしれません。

 

学校の近くをドライブしよう

車というのは守られている感じがするので少し遠出することもできました。

母に連れられて学校の近くまでドライブ。

もちろん辛くなったらすぐ家に帰るという条件です。

 

今考えたら、そんなことで二人して喜んでたんだって感じするだろうけど、当時の私は車で学校の近くまで連れていけただけですごい嬉しかったよ。

あんたと一緒になって喜んでたね。

 

「学校に行く」を目標に小さな成功体験を重ねる

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緊張しながらも外に出ていくことに慣れてきて私は学校に復帰するために小さな成功体験をまた重ねることにしました。

 

  1. 車で学校の近くで降ろしてもらい、門まで登校する。
  2. 門から1歩だけ入ってみる
  3. 下足箱まで行ってみる
  4. 保健室に行ってみる
  5. 学校が終わったあと、1人でクラスに潜入

 

担任の先生が変わって、新しい先生がすごい協力的でね〜。

本人がやりたいといったところまでお母さんが手伝ってくれればそれでいいですよ。進展があったら教えて下さいって感じで。

私もなんだか救われた気がしたね。

 

まとめ:不登校児を学校に復帰させるために大切なこと

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  1. 家を居心地の良い場所にする(親の責任)
  2. 学校に復帰させるために協力体制を取る(親と学校の責任)

 

前提として不登校になるのは誰が悪いのか。

本人が悪いのか、周りが悪いのか。それはわかりません。

 

しかし、不登校になってから子どもが復帰するかどうかは、親と学校に責任があります。

 

これまで見てきてもらったように、私はまず母が考え方を変えてくれたおかげで家に居場所ができました。

そして新しい担任の協力のもと、徐々に学校に復帰することができたわけです。

 

不登校の子どもを抱える親御さんへ

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子どもを叱責すると取り返しの付かないことになるかもしれません。

私が廃人になっていく様子を紹介する中で少しだけ触れていますが、この不登校の時代の出来事が私の双極性障害に関係しているそうです。

今の私から見ると、当時の私は完全にうつ病ですね。

社会復帰させてくれた母には感謝していますが、わからなかったとはいえ、最初の母の行動は褒められるものではありません。

 

学校にいけなくなって落ち込んでいるときに、自宅にいても家族から責められるという経験をした私は完全に居場所をなくしていました。

 

うつ病になると、社会復帰は一段と難しくなります。

診断を受けたわけではありませんが、大人になって双極性障害として精神疾患になった私から見ても、当時の私は確実にうつ病だと思います。

この時のことを話すと、精神科医も「当時からうつ病だったんでしょうね」といっていたので間違いないでしょう。

まぁ記憶が吹っ飛ぶぐらいですから(笑)

 

私の場合、母親の献身的な支えと、学校、担任の全面的な協力があったからこそ復帰できたと考えています。

 

もしまだお子さんが廃人になっていないのであれば、今のうちに居場所を作ってあげてください。

廃人になってからでは私の母のように相当な労力を使って子どもを立ち直らせないといけません。

 

当時の弟は5歳。家事育児にも追われる中で、半日程度一緒にゲームをするというのは尋常じゃありませんよ。

 

そうならないためにも早いうちから手を打っておきましょう。

 

父親は関わらないほうが良いかもしれません

家庭環境によって違いはありますが、うちは父親が仕事で忙しくほとんど帰って来ない。母親は専業主婦でした。

当時のことを母とも話していてお互い納得したのですが、父親が下手に介入してこなかったことが良かったと思います。

 

  1. 男親は根性論に走りがち
  2. 父親の叱責はより恐怖感を増す
  3. 常に一緒に入れるわけじゃないので介入が中途半端

 

基本的に男性は共感性が低いので、子どもの気持ちに寄り添うことは難しいと私は考えます。

 

親がイライラしていたら子どもはすぐに分かります

ほっしー
あ、学校に行かなくても良いんだ。俺ここにいて良いんだ。楽しんで良いんだ。

 

そう思えたのは、母が心から一緒に家で楽しむことを考えてくれるようになったからです。

 

もちろん最初から上手くいったわけではありません。

母がかわり始めようと決意したとき、優しく私に接する中でもどこかイライラしていることは感じ取っていました。

そのイライラを感じる間はやはり異様に怖く感じていましたね。

 

私がイライラを感じ取っていたことは母もわかっていたようで……。

 

最初はイライラしながらやってたからうまくいかなくてね。あんたも気づいてたみたいだし(笑)

私も若くてわからずにあんたを怒っちゃってたし、このまま学校に行けなかったとしても死ななかったらいいかって思えるようにある意味あきらめがついてから本当の意味で向き合うことができたかな〜

 

と言っていました。

 

学校に行きたくなくて自殺しちゃう子もいます

私の母もこれまで書いてきたように子供の将来を心配して激しく私を叱責しました。

しかし、それで息子が廃人となってしまったのです。

 

ただ、母は賢明であり、考え方を切り替えてくれたので復帰することができました。

考えを切り替えなかった場合、私は自分で命を絶っていた可能性も否定できません。

 

学校に行かないなど、大した問題ではありません。

しかし子どもにとっての社会は学校が全てなのです。

 

もっと真剣に向き合って考えてあげる必要があります。私の母のように。