メンヘラブロガーの「底浅い病みの文章」はむしろ価値がある。

どうも、双極性障害と戦うブロガー星野 良輔(@hossy_FE_AP)です。

メンヘラブロガーを批判する面白い記事を読みました。

タイトルはこれ、「病んでる系の記事は評価されやすく、メンヘラが自分を名文家と錯覚してしまう恐ろしいものである」

私もメンヘラブロガーのはしくれ?として、一応反論しておこうかな…!

 

過去の偉人の闇の深さと現代人の浅はかな闇

 純文学の作家とかで昔から評価されてる人たちって、病んでる人やクズが多いってイメージが世間にはある。
彼らがなんで深みのある世界を築けたかっていうと、絶対的な病みに支配されていたからだと思う。
 ネットも普及していないから、溜まった負のエネルギーを小出しにしてしまうようなことはしなかった。
 だから、常に莫大な闇を抱えていた。

引用:病んでる系の記事は評価されやすく、メンヘラが自分を名文家と錯覚してしまう恐ろしいものである

これはあるでしょうね。ネットで小出しにできる時代ですから、現実世界で吐き出せないとしても、鍵垢作ってTwitterできったない言葉吐きまくったり、相互フォローアカウント作って承認欲求満たされたりしてるんでしょう。

私がこうしてブログを書くことも、闇を小出しにしているといういい例かもしれません。

そういう意味では、過去の偉人とは表現力、文学的知識の差はありますが、どれだけ深い闇の中にいるかという意味では、完全に敗北しているでしょうな。

 

大半の人が本を読まなくなっているという事実

マンガや雑誌を除く1カ月の読書量は、「1、2冊」と回答したのが34・5%、「3、4冊」は10・9%、「5、6冊」は3・4%、「7冊以上」が3・6%だったのに対し、「読まない」との回答が最も多く、47・5%に上った。

引用:「1冊も本を読まない」…47・5% 文化庁調査で「読書離れくっきり」

1カ月の読書量で1冊も本を読まないという人が47.5%…これは若い人だけじゃなくて、すべての年代でそうなっているみたいです。

いろんな事情があるんでしょうけど、スマホが普及してからスマホの画面を見ることに忙しい人が増えました。私もその一人ですw

そりゃ、超意識しないと本なんて読みません。

いわゆる「読書の虫」と言われるような人しか読まないでしょうね。

 

読書もある意味練習的なところがあるので、読めば読むほど難しい言葉や言い回しを覚えてきてそれを「オシャレ」だと思うようにもなってきます。

文学の世界は奥深いと「思わされる」ので、言葉というのは所詮、伝わればなんでもいいので、オシャレもクソもないんですけどね。

人間は怠惰な生き物なので、自然と楽なコミュニケーションが行われるネットの世界に流れるのも無理はないわけです。

 

であるからして「浅い闇」が横行するんだよ

勝手な推察ですが、引用しているブログの筆者ピピピピピさんは、かなりの読書家だと思います。

ブログの過去記事をいくつか漁らせてもらいましたが、随所に紹介されている本は読書を日常的にしている人でも手を出しにくい奥深そうな内容が多いです。

 

ちなみに私はにわか読書家、かつ、乱読家で1カ月60冊以上は多分読んでます。

Kindle Unlimitedに登録してるので、流し読みがほとんどですが。(ブログネタ探し的な側面もあるので)

参照記事:Kindle端末とAmazon読み放題サービスのせいで読書がやめられない

 

少し話がそれましたが、ピピピピピさんレベルの読書家、文学が好きな人というのは先ほどデータでも示したように超少ないと思います。

たいていのメンヘラブロガーは、私を含め、彼の言う価値のある病み深き文学ではないということは認めますが、現代社会にどちらが求められているのかといえば浅はかな闇でしょう。

 

商業では通じなくてもネット商業では通じる

はてなブログ的病み方みたいなのがあるけれど、僕はそれって一般文学をはじめとした商業ではどこであれ通用しない病みだと思う。

引用:病んでる系の記事は評価されやすく、メンヘラが自分を名文家と錯覚してしまう恐ろしいものである

ピピピピピさんの言っている「商業」とは、おそらく「紙の本として質の高い文章を販売する」という意味だと思います。

確かにそれなれば、ネットにありふれる浅はかな闇は文学的価値はこれっぽっちもないでしょうね。

でも逆にネットの世界で言えば、小説家の文章など誰も求めてません。

奥深い文章を読むのは体力使うんですよ。頭も使う。誰もそんな暇じゃないんですよ。

TwitterだろうがFacebookだろうがブログだろうが、さーっとスクロールして終わりなんですから。

 

ネット商業において価値の高い文章とは

ネット商業における価値の高い文章

  • 読みやすく改行されている
  • 独自のエピソードがある
  • 難しい表現が使われていない
  • 読者が考えなくていいようにフォローをたくさん入れる
同じ「文章」ではありますが、フィールドが違うだけでここまで違うのです。

過去の偉人が記してきた「紙の書籍」とは、全く違う文章表現の世界です。

無料の文章がほとんどなので、最後まで読まないですよ読者は。

よほど名前が売れて名前だけで読まれるような人は別ですが、人間が神格化されない限りは、難しい文書は読まれません。

 

浅はかだと言われても、これからも量産を続けることだ

 今の病んでる系の記事などを書いている人って、ぱっと見は斬新で面白い考えを持った人だと感じられるかもしれないが、実のところは浅い闇の中で泳いでいるだけで、その苦しみを楽に緩和するために刺激的な言葉を用いた毒々しい文章遊びをしているだけに過ぎないのではないか。

引用:病んでる系の記事は評価されやすく、メンヘラが自分を名文家と錯覚してしまう恐ろしいものである

タイトルにある、病んでる系の記事は評価されやすく…の時点で、ネット商業的には「浅はかな闇」は「偉人たちの深い闇」より価値が上です。

専門家からみれば、過去の偉人たちの深き闇は素晴らしいんでしょうが、先ほども述べたように大半の人が文学的価値などわからない。本すら読まない人であふれているのです。

ネットはほぼすべての人間が無料で見ることができます。

そんな中において「有料で難しい日本語で紡がれた奥深いストーリー」に価値を感じる人は一部の人間だけです。

つまり、メンヘラブロガーの浅はかな闇はむしろ偉人の深い闇より価値がある。

これからも自分の闇をネットに放流していきましょう。それで救われる人だっているんですから。