どうも、ほっしーです。
あなたはどこかで、不幸な自分に納得してしまってませんか?
と思っているつもりでも、不幸に慣れていると、無意識に自分を「不幸な檻」に閉じ込めてる可能性があるんですよ。
「不幸な檻」が心地よくて、幸福な自分を受け入れられない
試し行動とるメンヘラ、何回も同じような事を繰り返す傾向にあるんだけど、アレ「愛情の確認」というより「自分は愛されない」という認知と現実の不協和で不安になり、現実を認知に一致させようとしてるのでは?と疑ってる
ソレ故に試し行動とる方が本当に安心出来るのは「愛を拒絶された時」なのだと— 脱税レイヤー風呂屋さん (@557dg4) 2017年12月5日
脱税レイヤー風呂屋さんが言ってることはこういうことだと思うんですよ。
たとえば、大好きな彼氏がいたとしましょう。
自分が愛していて、彼からも愛されていることが頭ではわかっている。
でもどこかで納得できずに、何度も何度も彼に対して
と、聞いてしまう。彼は好きだと言ってくれるが、なんだかしっくりこない。
彼の愛情が足りないのではないか…。
でも無意識レベルでは「自分は不幸の檻の中にいるべき人物だから、愛されるのはおかしい」と思ってしまって
悲しいけれど、どこか納得感がある回答。やっぱりあなたは私のことを愛していなかったのね…と。
こんな「不幸な」未来を自ら望んでしまっているってことです。
自分は不幸になるべき人間だから、幸福が目に入っても、不幸なエピソードを探して納得する…。恐ろしいな。
— ほっしー (@hossy_fe_ap) 2017年12月5日
人間は「慣れ」の生き物だから怖い
人間はとにかく「慣れ」の生き物なので、不幸に慣れるってのは危険なんですよ。無意識に不幸を望むようになって、不幸でなければ安心できない。幸福な人はずっと幸福だし、不幸な人はずっと不幸。人は変化を恐れるし、エネルギーを使うので、不幸のままでいいやとかどこかで思っちゃうんだよね。怖いね
— ほっしー (@hossy_fe_ap) 2017年12月5日
恋愛が分かりやすいかと思ったので、たとえば話は恋愛にしました。
でもこれ、他のことにも当てははるよね!
たとえば、自分はうつ病だから絶対にこんなことはできないと思ってしまうとことか。
確かに、病気の部分が大きければできないことは多いです。
私も自分が激しいうつ状態だったときは、ベッドから起き上がれなかったし、みるみる痩せていって、本当に死ぬかと思いました。
ただ、薬を飲んだりゆっくり休んで回復してくると、少しずつできることは増えてきます。
私の例で言うと、ブログを書き始めて少しずつメディア運営について勉強し、2年たってようやく生活できるレベルまで収益が上がってきました。
最初は無理だと思いましたよ。
もちろん、健常者のように12時間ブログ書くぜー!なんてことはできませんが、工夫をすればやっていけるものです。
「うつ病なんだから、ほとんど書けずに収益も上げられずに、終わっちまう」という悲しい自己肯定から脱出できたことで、続けられたんだと思います。
何度も言ってるように、人それぞれ症状がありますから、一概にこうだ! なんて言えません。
それに、この考え方を極端にすると、気合で乗り越えろ!とか根性論引っ張ってくる人もいるでしょう。
それとは違うんですよ。
私は無理してやったわけじゃないですから。楽しめる範囲でやってるだけです。
弱さは弱さとして、自分の良いところを受け入れる訓練をしよう
別に弱いのは良いんですよ。
私だって雑魚ですよ雑魚。
見てください、この生活リズムw
冬季うつ持ちなので、冬場は睡眠リズムが乱れて過眠傾向。
実際どうなんだろう? と思ってつけてみた自分のタイムスケジュールがひどい…w pic.twitter.com/v5eESYnNCJ
— ほっしー (@hossy_fe_ap) 2017年11月30日
社会人的な視点で見ればダメダメでしょう。
でもだからといって、自分が世界でもダメ人間だなんて思たりゃしません。
通勤はできませんが、多くの人に読んでもらえる文章を書くことはできるのでそこは自分のほこりです。
ちなみに、ブログなんて書けなくたって良いんですよ。
- 簡単なイラストが書ける
- ちょっと歌がうまい
- Twitterでリツイートもらうの得意
- ツイキャスでまぁまぁ人来る
- 好きな本ずっと読んでられる
いやいや、すごいんですってこれらも。
てか、自分が得意なことって、すごいと思えないんですよね。
だからこそ、意外と自分ってすごいんじゃね? って思うこと大事です。
素敵な勘違いから、人生開けてきますから。
私も実は、ちょろっとブログ褒められたことがきっかけでここまで来てますからね(笑)
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