何事にも恐れない強い心を持ちたいと手に取った本が意外性に富んでいた。

何が起きても動じない心がほしい。これは誰もが願うところではないでしょうか?

「動じない」ときくと、悪いことに関してと思いがちですが、良いことに関しても同じことが言えます。

良いことがあったときに心が動揺してしまうと舞い上がってしまい地に足がついていない状態となります。

そんな時に何かを判断するとたいてい失敗してしまうんですよねぇ…。

良いことも悪いことも、「動じない心」を手に入れたいものです。

そんなあなたにおすすめの一冊

 

 

危険が訪れたとき

心の柔らかさを保てた最大の理由は、子ども時代からの習慣で、危険なものに対して「こいつはおもしろくなったぞ」と物ごとを自然と客観視するクセがついていたからだろう。

引用:恐れない技術

困難がやってくるとたいていの人はしり込みしてしまうと思います。

いやだ…こんなものから逃れたい…

私も例外ではありません。

 

本当の「勝者」

「勝つとか、負けるとか考えない。相手のことも関係ない。自分自身が強くなれば、それで済む世界ですから」

引用:恐れない技術

これは将棋界の羽生さんの言葉を引用した一文です。

おそらく、将棋界のことをお話しされたんだと思いますが、これはビジネスパーソンも同じですね。

 

著者は禅的な思考の持ち主

極端なことを言えば、どうせ放っておいても時間がたてば治るし、歩けるようになる。つまり、彼は自分で自分の「妄想」や「不安」をどんどん膨らませていただけのことなのだ。これは会社で大失敗したとしても同じことだ。

引用:恐れない技術

これは、自分を取材しに来た編集者が、ぎっくり腰になってしまい、自分の将来まで心配になって軽いうつ状態になってしまったという話をきいての著者の感想です。

自分で妄想していただけというのは、まさに禅的な思考と言えますよね。著者が禅の世界を知っているかはわかりませんが、自然とそういう思考になったとしたらすごいなぁ…。

 


美輪明宏さんもこれと同じ思考ですね。

 

人はなぜ恐れるのか

「危険」なものにフタをし、ひたすら遠去かってしまうのならば、わずかでも不安なこと、危ういことにもオロオロし、簡単にパニックに陥る人間が増えるのは当然のことだろう。

(中略)

結局、人が「不安」や「恐怖」を感じるのは、人間がもともと「動く」からであり、それはすなわち我々が「動物である」ということの証しなのだ。  そしてまた、私たちは動かなければ腐ってしまう「生もの」でもある。それゆえ「生物」とも呼ばれる。

(中略)

本来、人間も生物である以上これは同じこと。つまりは、動けば、必ず危険が伴うという単純な事実を踏まえておくべきなのだ。つねに危険と隣り合わせという感覚さえあれば、動物としての危機意識だって鈍くはなりようもないのだから。  だが、人間は「規則」や「制度」といったものを次々とつくり、自分たちを鳥や魚のように、自由に動けないようにしてしまった。  学校や会社、その他のあらゆる組織が「規則」や「制度」でいつの間にか人間の行動を縛ってしまったのだ。

(中略)

なぜ、人間はそんな無数の網を自分の周りに張るようなことをしてしまったのか。  それは、人間が人間を支配しようとしたからである。 「動く生物」、つまり「動物」である人間を、自由に動き回ると困るから、〝動かないように〟したのも人間なのだ。

引用:恐れない技術

人がなぜ恐れるのかというのを生物のところまで掘り下げて語っています。なるほど…と思わされました。

人間が人間を支配するためにルールを作る。

ルールというものは、みんなが快適に公共の場を使うために設けられるものだと思っている方もいるようですが、それも一種の洗脳といえるかもしれません。

「教育」が揶揄されるときに使われる表現として「企業戦士育成の場所」なんて言われますが、あながち間違っていませんね(笑)

 

不調こそ、我が人生

君がつまらないことに動揺したり、怯えたりしないためには〝好調が当たり前だと思わないこと〟が一番だ。

(中略)

「調子が悪い、いろんなことがうまくいかないのが当たり前なんだ。好調はたまたま、不調こそ人生」

引用:恐れない技術

個人的に、これ響きました。

私は、双極性障害という気分に波のある病気を持っています。

つい、調子の悪いときは

こんなの俺じゃない…

と思ってしまいますが、不調こそ我が人生と思えれば、自己嫌悪に陥ることも少なくなるかもしれません。

なにより、不調が当たり前だとすれば、「不調だから今日は休もう」という言い訳を自分にしなくて済みます。

この考えは、自分に刻んでおきたい。