「もう、楽になってしまいたい……。」そんなことを考えたことがありますか?
日常生活や仕事に追われ、自分は何のためにこんなに頑張っているのかわからない。
気づいたらストレスが溜まりまくっていて、何についてストレスを感じているのかすらもわからない。
私もそのように感じてしまっていたことがありました。
この本を読み終わって、いかに自分があらゆることに反応して無駄に疲れているのかがわかりました。
もうどうしたらいいのかわからないと思ったらぜひこの本を手にとって見てください。
反応しない練習
著者について
著者は、草薙龍瞬(くさなぎりゅうしゅん)さん。
彼はもっと仏教を分かりやすくするための活動を行っている方です。
ちゃんと出家の経験もあるみたいですよ。
僧侶/興道の里(こうどうのさと)代表。 <略歴>奈良出身。中学中退後、十六歳で家出、上京。大検(高認)をへて東大法学部卒業。インドで得度出家後、ミャンマー、タイに修行留学。ビルマ国立仏教大学専修課程修了。 <活動> ●仏教を宗教としてではなく「現実の問題解決に役立つ合理的な方法」として紹介。宗派・伝統に属さない〝独立派〟の出家僧。
この本の特色は、こうした悩みを解消する「ブッダの考え方」を〝原始仏教〟に学ぶことです。
原始仏教とは、二五〇〇年以上前のインドでブッダが説いていた、最も古い教えのこと。
智慧に富んだブッダの名言をわかりやすく翻訳し、豊富に紹介しています。
悩みはどこから来るか?
悩みは、どれも〝心の反応〟から始まっているからです。
「心の反応」と言われて、ピンとくる人は、どれくらいいるでしょうか。
実は、私たちの日常は「心の反応」で作られているといっても、過言ではないのです。
心の反応…私も最初にこの本を読んだときはあまりピンときませんでした。
悩みのタネは心が反応するから生まれる…ということのようです。
悩みの解決方法といえば、どこかに書き出してみて悩みを可視化することによって客観視し、「なーんだ意外と…」と思うことが主流で語られることが多いです。
しかし、この「反応をしない」という行為は、そもそも悩みのタネすら生まないので、根本的な解決方法と言えそうです。
「ある」ものを「ある」と認める
人によっては、「現実を受け入れることは、つらい」と思うかもしれません。
でも、そうではありません。「受け入れる」のではなく、「ある」ものを「ある」と理解するだけです。
「わたしには悩みがある。未解決の問題がある」と、はっきり自覚します。
「でも、きっと解決できる」と考えます。
その「方法」が、これから学ぶ「ブッダの考え方」です。
どうして悩みが消えないんだ!
と、嘆いているときは、悩みを「ある」ものとして捉えられていない証拠かもしれません。
この考え方、単純ですよね。ただそこに悩みがあると認めるということ。
ちょっと無理をしたポジティブ思考よりも、地に足の着いた考え方だと思います。
鬱になるのも、八つ当たりするのも、原因は「判断」(思い込み)にあります。
ここで言う「鬱」とはおそらく気分的なものを指しているんだと思います。さすがに病的なうつに関しては指摘されていません。
過度な落ち込みとして考えれば、確かに思い込みであることが強いかも…。
「病は気から」という言葉があるように、やたらと「反応」してしまって心が疲れ切ってしまうと、「病的なうつ」に繋がってしまいますね。
自分は自分、他人は他人
ブッダの考え方のポイントは、「世間にはこういう人もいるかもしれないが、わたしはこうしよう」と、他人と自分との間にきっちりと線を引いていることです。
ブッダは、子どものころとても裕福な家庭に生まれて育ったそうなのですが、彼も生きる意味が分からないと落ち込んだ経験があります。
私たち同様、ブッダも生きる意味を模索し「最終的には失うじゃん…」と絶望した思考経験があるとか。
ついつい神格化して人間とは程遠い存在と思ってしまいますが、ブッダにもこういう経験があったんだと思うと、彼の言葉がスッと入ってくる気がします。
正しい努力について
「正しい努力」とは、いわば「外の世界」を忘れて、「自分のモノゴトに集中」して、そのプロセスに「自ら納得できる」ことです。
これ、めっちゃ大事な考え方です。
「外の世界」を意識しすぎて、あいつよりは上だ、あいつよりは下だなんて思っていると、キリがないんですよね。
人と比べるって行為は、上を見れば嫉妬し、下を見れば優越感に浸るっていう最悪な結果しか生まない。
嫉妬はエネルギーを奪う。優越感もエネルギーを奪う。停滞する。そして衰退する。
— ほっしー (@hossy_fe_ap) 2016年4月12日
自分より優秀に”見える”人と比べて落ち込んだり
自分より劣っているように”見える”人と比べて優越感に浸ったりいずれも”そう見える”だけであって、実際にどちらが優秀だなんて図る手段はないし。
— ほっしー (@hossy_fe_ap) 2016年5月1日
人はつい、成果を上げている他人に目をつけて、彼らと同じ方法で、同じ成果を上げようと期待、妄想してしまいます。
しかし本当は、目を閉じて、自分の内側から「独自の成果を上げる方法」を工夫していくべきです。振り回されない、ということです。
尊敬できる人を見つけて啓発されることはよいことだと思いますが、自分よりできる人を見て嫉妬しても意味がないです。
それに、「正しい努力」を身に付けると他人の長所がよく見えるようになります。
成果を素直に褒めて、認めて……さらに、自分の中に取り込むことができます。
打算的な卑しい人間から解放されるためにも「正しい努力の思考」を身に着けてみてはいかがでしょう?
こんな人に読んでほしい
- 悩みが尽きない
- 自分が好きになれない
- 競争につかれた
- 人生に疲れてしまった
誰でも悩みが膨らみすぎると人生に疲れてしまいます。
それはそれで仕方がないとはいえ、ずっと放置していていい問題でもありませんよね。
この本を読むと、スッと心が楽になるんですよ。
いかに自分が、無駄に責任を背負っているのかわかります。
[…] 自分で妄想していただけというのは、まさに禅的な思考と言えますよね。著者が禅の世界を知っているかはわかりませんが、自然とそういう思考になったとしたらすごいなぁ…。 […]