いつの日からかわからないけど、「見えない何か」に怯えながら暮らしているような気がする。
たいした怖さではない。
いつか解決しないといけない、悩みの根源…のようなものだと思う。
ときどきひょっこり顔を出し、叩いてみては「これじゃない」と思ってまた新たな悩みが顔を出す。
- 何かに悩んでいる
- 悩みっぽいものが顔を出す
- 本や人とのコミュニケーションの中で「これじゃないか?」と仮説を立てる
- ちょっとスッキリした気がして、ブログやTwitterに発信して誰かの役に立つ形にする
- 満足感を覚えながらも「なんかちょっと違う」という感覚が残る
- 1に戻る
でも、不幸なことじゃない。むしろありがたいこと。
私はとにかく考え込むことが好きで、実際に悩みが解決しなくても良いと思っている。
様々な角度からアプローチすることで、新しい考え方の境地に達する…みたいな。
そんな哲学者ゴッコが大好き。
悩むことは自分の趣味なのかもしれない。
悩みを共有して、役に立つ形にして発信する。
この「悩みを倒す武器の配布」は、永遠に続くテーマだし、AIとは無縁の世界だ。
人間が愚かであり続ける限り、永遠に人間は悩み続ける。
おそらく、「私の悩みの根源的ななにか」にたどり着くことは一生ないと思う。
もしかしたら無意識にたどり着かないようにしているのかもしれない。
“それ”に触れると、私の執筆生命が終わってしまう気がするから。
生きがいを失うのと同じだ。
”それ”に触れ、打ち倒すことが私にとって最大の不幸なのかもしれない。
半年以上付き合っているカウンセラーはこんなことを言ってた。
そうなのか?なんて不毛なことを…でも、それでいい。
私にとって悩み抜き、考え続けることが生きるモチベーションだ。
関連記事
根源的な悩みがあると「思い込んでいる」可能性もありますね。