どうも、ほっしー(@HossyMentalHack)です。
傷の舐め合いという言い方は、悪い言い方として使われることが多いですが、いい面と悪い面があるなぁと私は考えています。
ただし、基本的には、悪いことしかないというスタンスです。
傷の舐め合い
深く傷ついている時
深く傷ついて同しようもないときはまず心を癒す必要がありますね。その時は傷の舐め合いなんて言ってられないと思います。私もうつがひどい時はいろんなところに救いを求めたものです。
各SNSで病気の人とつながって色んな意見をうかがい知ることで、自分の置かれている位置が把握できて、ちょっとだけ前向きになることができました。
いずれは脱するべき
しかし、この甘い環境からはいずれは脱するべきです。いつまでも受け入れられるだけの環境にいても、何も変わりません。
常に新しいステージを目指していかないと、現状維持では人は衰退していってしまいます。ぬるま湯につかるとはこのことですね。
人の幸福を喜べない
私はぬるま湯につかっていた時、そこから脱出していく人の幸福を喜ぶことができませんでした。例えば、Twitterで仲良くしていた人が、病気が良くなってきたから就職するといったのです。
応援したい気持ちと、自分たちの環境から巣立っていくんだという微妙な気持ち、そして俺はなにをやっているんだという一抹の不安が心のなかにやどりました。
それがきっかけで、「こんなことでは自分がダメになる」と心機一転できたので、今では感謝しています、
自分を変える
自分で決めないとずっとそのまま
人が変わろうとするとき、結局は、自分で意識して決めないかぎり、ずっと変わることはありません。
環境によって変わることもありますが、それでは永遠に自分というものがありません。自分で自分を意識した時、初めて何かが始まると私は考えます。
集団に動かされるということ
集団によって決められた意見は、自分というものが存在しません。自分の主張が通ったとしても、そこには他人の意見が入り込んでいるので、集団の意見として成立します。
やはり、自分で意識して自分という存在を持たないと、何も変わりません。周りがなんと言おうと、核である自分をしっかりと持って迷ったらそこでしっかりと自分と向き合うことが大事だと思います。
まとめ
傷の舐め合いというといい方は悪いですが、いつまでも居心地の良い場所にずっといないかということは、問い続けていく必要があるのかなと思います。
もちろん、深く傷ついているときは、まずは回復最優先です。
この記事、すごく同感です。
わがままで弱々しい方をちやほやしている感じに嫌気が差して、ツイッターを辞めました。
あんな雰囲気に浸かっていると、どんどん世間ずれしていくと思います。
患者会の常識は世間の非常識ってこともままあるので、同病の方とつながりたいと思わなくなりました。
症状も人それぞれだから参考にならないことが多いですし、本当に時間の無駄でした。
死ぬくらいならぬるま湯に浸かるのもいいと思いますが、そうじゃないなら少しは頑張れよって思います。
同族嫌悪ですね。。