どうも、双極性障害と戦うブロガー星野 良輔(@HossyMentalHack)です。
精神疾患は理解されない! ということは、精神疾患者ならば、痛いほど理解しているでしょう。
悲しいことに、同じ精神疾患カテゴリーでも、私は統合失調症や境界性パーソナリティ障害といったものについてはほとんど理解できません。
かろうじて、うつ病に関しては、双極性障害にうつ状態がありますし、精神科医ですら間違えやすい病なので、ちょっとぐらいはわかるかもしれません。
同じカテゴリーの世界でもこのザマですよ。
- 毎日元気が出ない
- 働けない
- 理解されているという感覚を得られない
最も障害者に近い位置にいた健常者でさえ、何もわかっていなかった
ルポライターに鈴木大介さんという方がいます。
彼は、自著の中でこのように語っていました。
なるほど、原因が脳梗塞だろうと何だろうと、結果として「脳が壊れた」(機能を阻害された)状態になっているならば、出てくる障害や当事者感覚には多くの共通性や類似性があるようなのです。
そんなかつての取材対象者たちを思い浮かべると同時に、僕は猛烈な後悔に襲われることになりました。というのも、「その辛さ」は健常だった僕が想像していたものよりも遥かに大きく、長引くもので、取材記者としての僕は本当にそれを「分かった振りをしてきただけ」だったということに気づかされたのです。
さらに当事者自身がどう辛く感じているのかは、言語化が極めて難しく、他者にその辛さを説明することが困難なのだということも痛感しました。
これでは、仕事を失うこともあるでしょうし、家族の理解がなければ家庭崩壊も容易に招いてしまうかもしれません。なにより苦しいのに分かってもらえないというのは、本当に辛い経験です。
引用:脳が壊れた
彼がかかった病は、脳梗塞ですが、脳の機能がまともに使えなくなったという意味では、精神疾患も同じ。
彼の「思ったようにできない」経験は、精神疾患と同じだと私も感じました。
言語を扱うスペシャリストでかつ、たくさんの障害者にスポットを当ててきた彼でさえ、実際にかかってみてはじめてこの辛さを理解できたといいいます。
そして引用したように、言語化することが難しいのです。悲しいことに。
私もさんざんブログで精神疾患のことについて書いてますが、同じ精神疾患の方に共感は頂けても、健常者に伝わっているかわかりません。
- 理解されにくい病
- タブーな感じがする
- なんか言ったら傷つけそう
健常者の何気ない一言が凶器になっている事実
僕自身、以前当たり前のようにできたことが出来なくなっている苦しさに対して、周囲から「考えすぎ」「気の持ちよう」と言われることが、何よりも苦しく悔しいことです。
こともあろうに医療関係者から「僕が思うに鈴木さんは高次脳じゃない」と言われたことすらあります。その場で激怒して暴れていれば(高次脳の症状に易怒=「激高しやすくなる」があります)まだしもだったのでしょうが、僕は軽度ゆえに必死にその感情を自制し、その後その人物に対しては一切心を開いていません。
幸いにも病院では僕の障害を一二〇%くみ取って一緒に戦ってくれるリハビリの先生が力強く支えてくれましたが、もしあの医療関係者が僕の家族だったら……誰も理解してくれる人が身近にいなかったら……考えるだにそれは地獄です。
苦しみを他者に伝えられないこと、他者によってその苦しみが「ないこと」にされるのがこんなにも残酷で辛いということも、僕が今回高次脳という障害の当事者となって初めて知ったことでした。
引用:脳が壊れた
脳が壊れた。では、彼の自責の念が伝わってきます。
ルポライターとして取材をしながらも「甘えの部分があるのでは?」と取材対象者を見ていたのかもしれませんね。
先程も言いましたが、無理なんですよ。理解することは。
私もそうでしたよ。精神疾患者なんて全員甘えだろって思ってましたから。
ま、面白いことに、精神疾患となって、実際に辛い思いをしてきたにも関わらず、他のひとは知らないけど、自分は甘えなんじゃないかなとか思っちゃうんですけどね。
この認知の歪み?こそが精神疾患そのものだったりします。
理解されないことはわかる。でも理解されたい。
精神疾患にかかってしまうと、残念ながら人格の一部となってしまったかのような感覚に陥ります。
普通であることが普通にできなくなるので、もはやこれが新しい自分と受け入れるしかない。
そうじゃないと治療が進みませんからね。いつまでも否定していたって仕方がないんですよ。
でも、受け入れたら受け入れたで問題が発生します。
病気が理解されない=人格の否定という曲解
そんなことはないとわかっているはずなのですが、そう感じてしまうんですよ。
と言った感じですかね。
常に孤独感がつきまといます。ほんと、理解されないなーと。
Twitterが承認欲求の塊であるメンヘラたちがはびこっているのもなんとなくわかりますよ。
探し求めてるんですよ。理解者を。いや、彷徨っていると言ったほうが正しい表現かもしれません。
無理解=人格の否定という認知の歪みがさらに孤独にする
これまで述べてきたように、病気を理解することは同じ病気の人でないと無理な世界です。
双極性障害なんかは、症状が十人十色なんで、同じ病気でもよくわからんということはザラにあります。
理解されない=人格を否定された! と叫ぶ我々弱者の声は、強力な武器となり健常者に襲いかかります。
彼ら健常者が私たちと言い争って勝ち目はありません。だって、私たちはいざとなったら何するかわからないでしょう?
文句を言いたくなる気持ちはわかります。理解されないことは孤独感を伴いますから。
でも、これじゃいつまでたっても報われないと思いませんか。
自ら健常者に対して対話の機会を壊しているように感じます。
でも…話が右往左往して申し訳ないですが…
納得できないんですよね。みんなどこかで、「あいつら(健常者)のせいで病気になった」という感情があるんだと思います。
私も少なからずあります。
会社のせいだ…!という気持ちと、自分のせいでもある…。というよくわからない感情がうずまきます。
私が崩れていく様子は下記記事に詳しく書いています。
孤独な中で、発進し続けるのみ。
私はとにかく発信を続ける中で、認知してもらうことが大切なのかなと日々ブログを更新し続けています。
双極性障害に関する本を出版したこともその活動の一環です。
しかし、「へぇ〜こんな世界があるんだ〜」と、エンタメで消費されているような気もします。
最終的な解決策はやはり、精神科医療の進歩による客観的診断の導入だと思います。
と、健常者に「精神疾患が甘えではない」という考えを浸透させるには、「科学的根拠」が必要になると思います。
やはり経験した人以外は「オカルト・スピリチュアル」な世界だと思われがち。それはただ単に、「証明されてないから」です。
しかし、いつになるかわからんですし、私は待ってられないので発信し続けます。