どうも、ほっしー(@HossyMentalHack)です。
他人の苦しみを理解できますか?私には全くできませんね。
どうでしょうね。それってわかってるふりをしているだけなんじゃないですか?
相手の苦しみを知ってはいても、理解なんてできやしないと思うんですよ。
私はうつ病でも8年以上付き合ってくれている恋人がいます。
が、彼女も私も、お互いの苦しみを100%理解できているわけじゃないです。当たり前ですがw
だって、お互いのこと完璧に理解してたら絶対喧嘩なんてしないし、ストレスフリーになるはずですよね?
ま、完全にわかっちゃったら面白くもないけど。
自分以外はすべて「他人」なんだよ
親、兄弟、恋人、ある意味ではすべてにおいて他人と言えます。
なぜなら、他人という言葉には自分以外の人という意味があるからです。
ここで大切なのは、自分以外の人なんですよ。
言ってしまえば、自分以外はすべて他人なわけです。
同じ人間でも、生きてきた環境も何もかもが違うわけです。
それなのに、他人のことは理解できるとか思っちゃうのは、超能力者か勘違い野郎ですよ。
同じ病気のひとでも、十人十色。
私は双極性障害という病を抱えていますが、他の同病者の苦しみはわかっているようでわかっていないんだと思います。
≫うつ病との違いは? 双極性障害(躁うつ病)を大まかにつかもう!
症状も、経緯も、今置かれてる環境も、1人として同じ人はいないから。
なんとなく悩んでいるベクトルは同じというだけで、実際は違う。
それは体験談を募集して集めてみると、より鮮明になりました。
一人ひとりまったくエピソードが違う。
人は、悩みを抽象化して分かり合っているふりをしているように思います。
双極性障害ひとつ例にとってみても、同じような経験をしたからなんとなくこんな感じかな?と分かる程度。
もちろんそれを共感と呼ぶならそれでもいいでしょう。
ただ、危険なのは、同じようなこと経験したことがあるからって相手のことを分かった気持ちになってしまうことが一番危険なんですよ。
これは、偽善者がよくやらかしますよねw
相手のこと分かったつもりになって突っ込みすぎて怒られちゃうってやつ。
理解するではなく受け止めるということ
理解は絶対にできないものだという視点で話を聞いていれば、より相手の話が聞けます。
否定することもありませんよね。
相手のことを理解できない時点で、否定するだけの根拠がないのですから。
相手の苦しみは理解できるものではない。
だからこそ受け止めるという姿勢が大切なんだという視点が人間関係を円滑にするのかなと考えていす。
というか、相手のことなんて絶対に理解できやしねーよと思えれば、自然とそういう視点に立てるのではないでしょうか?
人の苦しみをそのまま受け止めるってのは大切なことで、自分自身をそのまま受け止める姿勢にもつながります。
常識を疑うということ
他人の立場になって考えようよ
というのは、よく言われる話で、皆さんそれが大切なことはわかってると思います。
ただ、他人ってなんだ?とか、苦しみってなんだ?と考えることによって問題の本質に迫ることができます。
私たちは普通に生活している中で
これは当たり前だから〜
といって思考をしないことがあります。
もちろん、当たり前であることは当たり前なんですけど、ただ単に考えてないだけなんですよね。
生きるとは考えることなのでは?
人は悩むんじゃなくて考えなくちゃいけない
「どうしてこんなことに…」は悩み
「どうすればこの苦境から抜け出せるか?」と問うのが考えること生きるとは考えることだと思う。
— 星野 良輔@双極性ブロガー (@hossy_fe_ap) 2016年7月5日
なぜ自分は生きているまたは、生かされているのだろう?と考えた時にスッと答えが出てくる人はいないと思います。
なぜだかわからないんですよ。
生きているから生きてるんじゃん
いや、それは当たり前なんですけど、考えてみるとなぜ生きるのか?生きなければならないのか?
なぜ?なぜ?って問う姿勢は大事だと思います。たとえ答えが出なくても。
仕事についても同じです。
ただ決められたレールに沿って働いていて、なぜ自分はこの仕事をしているのだろう?と考えて虚しくなって心の病になってしまう人が多いですよね。
それは悩んでいるからです。
と、悩むからつらいんですよ。
そうやって考えていけば仕事もきっと楽しいものになるはず。
つまり、何事においても深く深く考えて追及する姿勢こそが生きるということなのだと私は思います。
大好きなあの人の苦しみなら理解できますよ?付き合い長いし、愛してますから。