どうも、ほっしー(@HossyMentalHack)です。
私は2014年の夏、精神疾患になって会社を辞めました。
会社に就職して半年。まだまだこれからというときに、人生お先真っ暗になってしまったわけです。
そうなると自然と、これからどうやって生きていくべきかという課題に直面します。
大きすぎる課題は、1人では抱えきれないので本に頼ったりいろんな人の話を聞いたりしながら自分の中に考えを吸収していき、内省する時間をとりました。
すると少しずつですが、人生における大切なものが見えてきたような気がします。
双極性障害という精神疾患になって気づいた人生における大切なこと
自分の価値は自分で決めること
自分の価値は絶対に自分で決めてください。他人に決められてはダメです。
自分でさえ自分のことが全てわからない世界に私たちはいるのに他人に何がわかると言うんでしょうか?
人は、他人を評価することが大好きです。自分が評価されることは嫌いなのに、です。
仮に評価されたとしてもそれは100%間違った評価だと思ってもいい。
他人の評価を受け入れてしまうと、自分がその程度の人間でとどまってしまうんですよ。
だからこそ、自分で自分の価値を認め、もっと高みを目指すべきなんです。
人間は皆平等なんですよね?なぜ平等である他人に評価されなくてはならないんでしょうか?
私のように精神疾患になってしまった人間というのは一般的に見れば弱者です。
健常者のように一般的な仕事をすることができなかったりするのでそのように見られるのでしょう。
それは確かに事実だと思います。心が弱っていることが多いので健常者よりは不利な場面はたくさんありますね。
ただ、だからといって弱者というレッテルを受け入れてはいけません。
弱者と見られても、毅然として胸を張っていればいい。
例えば、仕事の能力は低いとしてもうつになった人の気持ちは健常者よりも分かる可能性が高いですよね。
悪い面ばかり見ないで、良い面を見つめて胸を張っていればいいのです。
なりたくて病気になったわけじゃないんですから。他人に価値を決めさせてはいけません。
今ここに意識を集中すること
双極性障害になって、今この瞬間に集中して生きることが大切なんだなと学びました。
いや、まさかですよ。本当に。自分が精神疾患になるなんて思ってもみませんでした。
誤解を恐れずに行ってしまえば、精神疾患者なんて全員キチガイか甘えてるやつしかいないと本気で思ってましたからね(笑)
そんな私が精神疾患者になったわけです。それはなぜか?
今この瞬間に自分自身の意識が集中していなかったからです。
- 過去の自分はこんなところがダメだった……。
- 未来の自分はこうであってほしい。でも無理だろうなぁ……。
病気になる前、こんなことばかり考えていました。
つまり、今の自分という視点がまったくないまま、過去の自分と未来の自分から責められ続けるわけです。
完全にセルフケアないがしろですね。
過去はもう終わったことで、未来は今この瞬間の積み重ねでしかないわけです。
過去に引きずられる必要も、未来の優秀な自分のいじめられる必要性も全くない。
目の前にある課題を1つずつ片付けていく。人生とはただそれだけのことなんだなと。
今この瞬間を生きるという考え方は、人生をシンプルにします。
人生を複雑にしているのは、外の世界ではなく自分自身なんですよね。
比較するのは他人じゃなく昨日の自分
自分が普段している生活の中で、ほんのちょっと5%ぐらい頑張ったらできることができたなら褒めればいいんじゃないかな。
「あの人はこんなことできてるのに…」とか思わなくっていいんだよね。
意味がないんだよなぁ。他人と比べることって…。— 星野 良輔 (ほっしー) (@hossy_fe_ap)
私たちは油断しているとつい目に見える範囲の他人と比較してしまいます。
他人と比較するとき、相手のほうが自分より優秀に見えるときは、自分の悪い面ばかりを見て自分を責めてしまいます。
自尊心を傷つけ自信がなくなると、できることがどんどん少なくなって行動範囲も狭くなります。
ただでさえできないと思っている自分をさらにできない自分にしてしまうのです。
だから比べる必要は全くなくて、自分のやるべきことをしっかりやるほうがいいんです。
そのほうが精神衛生上もいいですね。
他人と比較することが良くないということは、こちらが優位な立場にあっても変わりません。
相手のことを見下してしまう恐れがあるからです。
私のほうが上だな……という態度は、表に出さなくても相手は感じ取ってるかもしれないんですよ。
ただ、それよりなにより、人と比べるクセをつけてしまうと、終わりのないラッドレースに巻き込まれます。
身近な人間を倒したと思っても、新たな敵が目の前に現れるだけです。
あなたが人生をまっとうするまでに、頂点に立つことは100%ありません。
何らかの接点を持つ人が3万人。 そのうち近い関係(同じ学校、職場、近所など)が3000人。 さらにそのうち親しく会話を持つのが300人。 友人と呼べるのが30人。 親友と呼べるのが3人。
毎回不戦勝でのし上がっていければ楽ですが、必ず大きな壁として立ちはだかる有能者がいるでしょう。
そこまでボロボロになって3万人の頂点に立つことに何の意味があるんでしょうね。
そもそも、他人と比較することは不可能
例えば、会社の同僚で自分より優秀な人がいるとしましょう。
と思う人がほとんどでしょう。仕事の能力に対する嫉妬ですね。
で、なぜこれが意味がないかというと……。
相手の過去をすべて知っていますか?自分の見ていないときに相手が何をしているかすべて把握してますか?
という話です。
他人と比較しても意味がないというのは、フェアに比較できないからです。
だから過去の自分と比較するんですよ。
過去の自分だったら努力量とか環境の差とか比較するための情報が整理できますもんね。
自分の頭で考えて自分の足で踏みだすということ
精神疾患になって最初に感じることは「誰も助けてはくれない」ということです。
これは無理もないんですよ。精神科に通院してるんでしょ?と思われるかもしれません。
が!精神科医が自分のことを理解してくれていると思える患者のほうが圧倒的に少ないです。
- 精神疾患自体が未解明なことが多い
- 診療報酬の関係から、精神科医はほとんど診察に時間をかけない
精神科に通ったことがない人に話すと驚かれますが、診察は5分~10分ぐらいです。長くて15分ぐらいでしょうか。
15分でいったい何が分かるの?って話ですよね(笑)
家族、友人の理解が得られないのは当たり前です。
私自身、先ほども述べたように精神疾患とかキチガイか甘えしかいないと思っていたので、そもそも友人になんか話してませんよ(笑)
つまりある意味で、完全に孤独の世界に入ります。
そうなってはじめて、冷や汗をかきながらこれから先どうやって生きていこう……。と、思うわけです。
幸いなことに、時間だけは誰よりも取れます。精神疾患の治療はベットでずっと寝てることが多いので(笑)
真っ暗な部屋で一人考え込んでも答えが出ないので本を読んだりネットをしたりして答えを探りまくりました。
すると不思議と少しずつ見えてくるんですよ。自分がどうやって生きるべきなのかが。
私はこの「双極性障害」という病を活かせる仕事を見つけたので、今は天職だと思ってやってます。最高に楽しいです。
自分の心の声を最優先にすること
自分の心の声をないがしろにしている人はあまりにも多いのではないでしょうか。
例えば、「他人の意見に耳を貸す重要性」について。
他人の意見を聞かない人は子どもだと言われます。大人であれば、人の意見も取り入れて咀嚼してどうのこうの……。
でも、私はいやなのですよ。自分の意見を大事にしたい。
もちろん、真っ向から否定するわけではありません。他人の意見のほうが有用である場合もあるでしょう。
それでも、自分が「こうだ!」と思ったらその声に従ったほうがいいと私は考えるようになりました。
私が人の意見はあまり聞かないほうがいいと考えるようになった理由は2つあります。
- ブロガーという職業柄
- 精神疾患になったこと
ブロガーという職業柄
ブロガーなので、尖った意見のほうが個性を出せるということが理由の1つです。
どれだけ良いことを書いても、読まれなければ意味がないので、どうすれば人の心に残る文章が書けるか常日頃から考えています。
で、人の反対意見なんかを取り入れると表現が丸くなっていくんですよ。
例えば私は「ネガティブ思考なんて本当に意味がないからやめたほうがいいどころか、害悪でしかありませんよ?」という意見を持っています。
ですが、Twitterのフォロワーさんには精神疾患の方が多いです。
この発言をすれば、フォロワーさんを傷つけてしまうかもしれません……。
じゃあ表現をこう変えましょう。
「ネガティブ思考はあまりよくないと思いますので、少しずつ改善していきましょう。」
ね、なんだかありふれた感じになりましたよね。
別に私が書かなくてもいいじゃんっていう文章になっちゃうんですよ。
これについては、私自身が不器用であることも関係しています。
器用な人は人の意見を取り入れて自分の血肉にしたあと、尖った意見を発信できる人もいるかもしれません。
私はそれができないので最初から極力人の意見は取り入れないようにしている。ということです。
精神疾患になったことで考え方が変わった
私は精神疾患になる前、誰よりも立派な人間になりたいという向上心を持っていました。
立派な人間ってなんだ?っていうと、それこそブッダのような、何もかもを受け入れて悟りを開いちゃうみたいな(笑)
要するに、誰もが憧れるような人のことですよ。怒らず騒がず騒ぎ立てない。常に平静な人。
自分の意見は極力言わず、人の話に静かに耳を傾ける。
誰からも好かれる人ですね。
無理ではないのかもしれませんが、私にとっては相当なストレスがかかりました。
どれだけ立場が上の人に対しても「これは違うぞ」と思ったら口に出さずにはいられない性格なんですよ。
と1人で勝手に落ち込む日々。
本当の自分を押し殺し続けようとした結果、ある意味本当に自分の心を殺してしまったのかもしれません。
完璧主義者ほど完璧から程遠いということ
完璧主義者とは、何事においても完璧にしないと気がすまないと思われています。
しかし、実際にはこれが完璧だと決めてとりかかるので、そこがゴールになってしまいます。
実際にやってみると「思ったよりできるな」ということが多いんですよね。
なので、80%主義でリラックスしながらとりかかることを再優先にしている人が一番強いのではないかと最近は感じています。
私は以前、完璧主義者でした。
自分が「完璧」だと思って仕事を終えると、体力が余っていても「休息」をとっていました。
休息を取ることも大事な仕事で、完璧にこなさないといけないという強迫観念からでした。
結果的には不完全燃焼となってしまい余計にストレスが溜まってしまうだけだったんですよね。
当然無理は禁物ですが、自分がやれる、楽しいと思えるなら何も考えずに目の前の課題をこなしていけばいいんじゃないかと。
完璧主義から脱する最も簡単な方法
何も考えずにさっさと取り掛かることです。あえてやり方は考えないでください。それぐらいでちょうどいい。
完璧主義者ほど、何かにとりかかる前にどうなるか頭の中で想像して最も効率のよい道を辿ろうとします。
それでは取り掛かるときのエネルギーがめちゃめちゃかかりますし、やっているうちに他の効率のよい手段を見つけてしまうと、また立ち止まってしまう恐れがあります。
私も完璧主義をやめるために、やらなければいけないことを淡々とこなしてみました。
最初は難しいですが、慣れてくると考えながら動くことができるようになります。
仕事の成果を後から見直してみると、考えながらやったほうが完璧に近いものができてますよ。
肩の力を抜いていつも通りの自分でまずは取り掛かる。やりながら考えるということを意識してみてください。
仕事は本当に好きなものしかやっちゃいけないということ
私は、双極性障害の診断が出る前は、システムエンジニアとして就職しました。
その理由は興味があったということもありますが、くいっぱぐれしなさそうというのが一番の理由です。
するとやはり仕事が好きになれないという気持ちがでてきてしまって、続きませんでした。
精神疾患になってしまったのも好きじゃない仕事をやってしまったからなのではないかと。
ま、たかだか半年なので本当に好きな仕事なのかどうかはわからないのですが(笑)
今やっている仕事は9か月目?ぐらいですが、毎日楽しくやっていますし、成果が出るのもシステムエンジニアのときより早いと感じています。
自分は将来、どんな仕事をしたいんだろう?とイメージしてまったくわかない人は、自分の好きなことを徹底的にやればいい。
「そんなもの仕事にならない。お金にならない」と大人たちから言われても、自分の興味がつきない限りは徹底的にやることをオススメします。
— 星野 良輔 (ほっしー) (@hossy_fe_ap) 2016年7月22日
就職活動を始めると、働いたこともないのに自分にあっている仕事を探しないさいって言われる。これは不可能。実際に入ってみてやってみないとなにもわからない。
就活はほぼギャンブルですなぁ。
— 星野 良輔 (ほっしー) (@hossy_fe_ap) 2016年7月22日
もう何度も書いてますが、好きなことを徹底的に追求しない限り、金のために働いてる人の仕事はどんどん奪われるから、好きなことする以外にないのですよ……。
— 星野 良輔 (ほっしー) (@hossy_fe_ap) 2016年7月22日
テクノロジー関係に弱い人なんて最初に淘汰されるだろうなぁ……。
人工知能の開発関係者がかろうじて残ってあとは首切りかな。だって必要ないし。— 星野 良輔 (ほっしー) (@hossy_fe_ap) 2016年7月22日
「好きなことして稼ごうとする」人はバカにされがちですけど、そっちのほうが先見性ありますわね。
— 星野 良輔 (ほっしー) (@hossy_fe_ap) 2016年7月22日
ビジネスにおいての生存戦略としても、好きなことを仕事にするというのが正しいことだと思います。
今はまだ、それほど好きなことしてやっていこうという人は数多くないのでチャンスはどこにでもあるように見えますが……これが当たり前になってくると競争は激化してきますよね。
ツイートしたように、AIが発展して普通の人の仕事が奪われるのはすでに目に見えています。
好きな仕事をしたほうがいいですよ。本当に。
大切な人がたった1人でもいれば人生は充実すること
ありがたいことに、今日は最もブログのアクセスが多い一日になりました。
要因はいろいろあるけど、ソーシャルで記事が拡散されたことが大きい!
彼女に報告しました!
( ˙-˙ ) pic.twitter.com/WPKUy11DMS
— 星野 良輔 (ほっしー) (@hossy_fe_ap)
ホテルでおしごと。
彼女さんには申し訳ないが、ガッツリやってます。
— 星野 良輔 (ほっしー) (@hossy_fe_ap)
Instagramから情報が漏れたようでまぁ別にいいんですけど、親友は気を使って先に彼女に連絡をしたそうな。
彼女は私の病状について「あ?ああwwwwwww全然たいしたことないよwww
ていっといた」だそうです。いい彼女持ちました(・´з`・)w
— 星野 良輔 (ほっしー) (@hossy_fe_ap)
病気になったときも普段と変わらない感じで私に接してくれたのは、リアルでかかわりのある人は彼女だけでした。
でもまぁ無理もないんですよね。精神疾患者に対して人はどんなふうに対応したらいいのかわからないと思います。
当事者の私でさえ、同じ精神疾患者の人に普通に接することができるかわかりません。
腫れ物にさわるようになってしまうかも……。
いずれにしても、彼女がいたからここまで復帰できたと思いますし、これからもブログバシバシ書いていけるんだろうなぁと感じてます。
3大欲求のなかで睡眠が最も大切だということ
食事のバランスが崩れると体調を崩しますが食事を整えれば治ります。
性に関してはあってもなくても大した問題じゃないでしょう。
睡眠はリズムが崩れると精神疾患になるリスクが大幅に向上します。
そして精神疾患になってから睡眠を改善したところで、精神疾患が治るわけではありません。
さらに、精神疾患になると、睡眠リズムはすぐに崩れます。
不眠や過眠は同時にやってきます。
これは精神疾患の種類にもよるところですが、睡眠のリズムの崩れはうつの入り口と言われています。
もしいま、睡眠をないがしろにされている方は、注意してくださいね。
うつになっちゃったらいろいろ時間かかりますぜ(笑)
世界は想像していたよりも優しい
私は実名顔出しで双極性障害を抱えているブロガーとして活動しています。
驚いたことに、仕事に関しては精神疾患者だからという理由で差別を受けたことがありません。
ほっしーさんの連載をアップ。無料で読める分も多めに取っています。/ 知られざる病「双極性障害」体験記(第二回) | イケダハヤト【有料マガジン注力中!】 | note https://t.co/UnOntWPTdM pic.twitter.com/fvyEfiqXh5
— イケダハヤト (@IHayato) 2016年6月9日
イケダハヤトさんの有料マガジンのほうに連載させていただいているのですが、このお仕事の話し合いの時もこれといって精神疾患が原因で制約を受けることはありませんでした。
急ぎではないので体調の良いときにお願いします~
というお気遣いは素直にありがたかったですが、腫れ物に触るような態度は一切されたことがありません。
まだ東京で消耗してるの?というサイトを運営している日本を代表するプロブロガーの1人です。
独特の煽り口調と歯に衣着せぬ物言いで人気。地方移住やビジネス造詣の深い方。
メンタルヘルスに対する考え方も先進的です。
お金を稼いで、金にならないことをやります。来年は「うつ病村」を実現したいなぁ。まだ進んでませんが、とりあえず言うだけ言っておきます。こういうのは宣言が大切なので。
— イケダハヤト (@IHayato) 2015年10月28日
また、ブロガーとして初めてイベントに参加してみた時も感じてました。
このイベントは基本的にブロガーの人しか集まっていませんが、ここでも制約を受けることは一切なかったです。
とも思ったのですが…法人の方とお仕事させていただいたときもそうは感じませんでした。
もしかすると、私たちは警戒しすぎなのかもしれない
ブログに対するコメントやTwitterに対するリプライではたまに差別的な発言を受けることはありますが、それは精神疾患に限った話ではありません。
彼らはいじりやすいところをいじっているだけです。
顔が不細工ともいじられましたが、それもいじりやすかったからでしょう(笑)
精神疾患になると、周りから理解されないことは事実です。
が、だからと言って拒絶されるわけではありません。
おそらくいま私と繋がってくれている健常者の方は「話していてそんな感じしないなぁ…まぁ…いいか。」ぐらいにしか考えてないと思うんですよ。
彼らも、目の前で「死にたい……」なんて言われるよりは精神的な負担がかからないから元気そうなら元気そうでなにより。
と、感じてくれているのではないでしょうか。
怖いけど、健常者に対してはこちらから近づくしかないということ
私たち精神疾患者が無意識に抱いている健常者に対する恐怖感は、おそらく健常者も持っています。
精神疾患者=自殺という方程式はどうしても成り立ってしまうんでしょう。
精神疾患者の立場から見ても、この方程式が崩れないのはちょっと悲しいところですが……。
私たちが病気になった原因は様々です。一般的なうつ病の場合、人間関係が原因となることがほとんどでしょう。
そうなると、健常者を恨みたくなる気持ちもわかります。
私も、仕事関係の人を恨んでしまったことはないといえば嘘になってしまいます。
しかし、すべての健常者が悪だとする風潮はいただけませんね。
それでは自分から「精神疾患の私に近づくな」と言っているようなものです。
それで受け入れられないと嘆くのはちょっと都合がいいかな。と。
そんなに焦って生きなくてもいいということ
私は双極性障害になる前、常に焦って生きていたような気がします。
20代前半で仕事を始めたばかりの方は同じような悩みを抱えていると思います。
また、ほかの世代の方もこのような考え方に囚われたままの人もいますね。
精神疾患になりやすい人は特にこの傾向が強いようで、生き急いでいるように見える人が多いです。
人生は耐えるものじゃなくて楽しむものなんですよね。
それに、生き急いで常に緊張状態を続け、私のように病気になってしまったら、ほとんど仕事なんか適当にしかやらねーよ!っていうぐうたらな人にも、結果としてぼろ負けなんですよ。
ウサギと亀の話が好例ですね。
焦らず目の前のことを淡々とこなしていく人が最終的には勝つのです。
人生も同じ。焦って生きたって、結局はなるようにしかならないんですよ。
ここは双極性障害になったことである意味あきらめがつきました(笑)
あきらめるの本来の意味
今、日本語で「諦める」といえば、自分の願いごとが叶わずそれへの思いを断ちきる、という意味で使われるのが一般だ。
しかし、「諦観(たい(てい)かん)」、「諦聴(たい(てい)ちょう)」といった熟語の「つまびらかにみる、聞く」にみられるように、「つまびらかにする」「明らかにする」が、本来の意味である。
そして、漢語の「諦」は、梵語のsatya(サトヤ)への訳語であって、真理、道理を意味する。
引用:読むエッセイ
引用したように、あきらめるというのは投げ出すという意味ではありません。
精神疾患となって焦る生き方を辞めた私は、ゆっくりだって進んでいけばいいんだと新しい人生を明らかにしました。
無理に昔の生き方に戻ろうとせず、病気の自分を受け入れて、生き方を変えてみるというのもいいものです。
双極性障害になって一番よかったことは、「人生なるようにしかならないから好きなことをやろう」と心から思えるようになったこと。
— 星野 良輔 (ほっしー) (@hossy_fe_ap) 2016年7月23日
まとめ
双極性障害という精神疾患になって生き辛くなるだろうなと考えていたのですが、結果としては生きやすくなりました。
もちろんこの考えに至るまでは、早く病気を治して社会復帰しないと生きる価値のない人間になってしまうと本気で考えていました。
今も病気を受け入れられない方の中にはこのように考えている人もいると思います。
しかしその考え方はハッキリ言って愚考ですよ。危険思考でもあります。
悟りの境地に至る最も簡単な方法は、精神疾患になることなのではないかと最近思う(笑)
ある意味「あきらめ」ないと、ネガティブ思考の渦に巻き込まれて死ぬことしか考えられなくなるから。
— 星野 良輔 (ほっしー) (@hossy_fe_ap) 2016年7月23日
ツイートでも書いたように、どこかで今までの考え方を変えないと「死」という言葉から逃れることは難しいです。
残念ですが精神疾患とはそういうものなのです。
今までの生き方は間違っているから変えなさいと神様から言われているようなものだと思えばいいと思います。
たった一度しかない人生なんですから、楽しまなきゃ損ですよね。
精神疾患なんかに負けてたまるかって感じですよ。
精神疾患は脳の病気です。そんなことは知ってます。だからなんですか!w
私は楽しみたいんですよ。まだまだやりたいことがいっぱいある。
だからこそ、生き方に哲学を持つことにしました。
正しい生き方ではなくて、自分にとって一番楽な生き方はどんな生き方なのか。ずっと追及しています。
誰になんと言われようと関係ありません。
あなたも、自分の生き方を持つことをオススメします。
双極性障害になって、一度人生を終わらせてしまおうかとまで思ったことがあるけど、よくよく考えてみたら、精神疾患になったからなんなんだ?と思った。
少し人よりハンデを背負ったからなんだ?と。
で、せっかくならこの病気を活かせないかな?と考えているうちに今の仕事に出会った。
— 星野 良輔 (ほっしー) (@hossy_fe_ap) 2016年7月23日