「相手の立場に立って考えようよ」とか絶対に無理。人の苦しみなど理解できないもの。

どうも、ほっしー(@hossy_FE_AP)です。

 

他人の苦しみを理解できますか?私には全くできませんね。

 

大好きなあの人の苦しみなら理解できますよ?付き合い長いし、愛してますから。

 

どうでしょうね。それってわかってるふりをしているだけなんじゃないですか?

相手の苦しみを知ってはいても、理解なんてできやしないと思うんですよ。

 

 

他人とは?

親、兄弟、恋人、ある意味ではすべてにおいて他人と言えます。

なぜなら、他人という言葉には自分以外の人という意味があるからです。

 

ここで大切なのは、自分以外の人なんですよ。

言ってしまえば、自分以外はすべて他人なわけです。

 

苦しみとは何か?

ここでいう苦しみとは、悩み、痛み、など過去に辛い経験をしたこととしましょう。

みなさんにもあると思います。

 

でもその苦しみ、他人に理解してもらうことってできますか?

無理ですよね?同じ環境、同じ体、同じ心、同じ精神力で同じ体験をしたなら、理解してあげられることもできるかもしれませんが(笑)

 

他の双極性障害の人もわからない

私は双極性障害という病を抱えていますが、他の同病者の苦しみはわかっているようでわかっていないんだと思います。

症状も、経緯も、今置かれてる環境も、1人として同じ人はいないからです。

 

なんとなく悩んでいるベクトルは同じというだけで、実際は違う。

 

人は、悩みを抽象化して分かり合っているふりをしているように思います。

 

双極性障害ひとつ例にとってみても、同じような経験をしたからなんとなくこんな感じかな?と分かる程度。

もちろんそれを共感と呼ぶならそれでもいいでしょう。

 

ただ、危険なのは、同じようなこと経験したことがあるからって相手のことを分かった気持ちになってしまうことが一番危険なんですよ。

これは、偽善者がよくやらかしますね。相手のこと分かったつもりになって突っ込みすぎて怒られちゃうってやつ。

 

理解するではなく受け止めるということ

理解は絶対にできないものだという視点で話を聞いていれば、より相手の話が聞けます。

否定することもありませんよね。相手のことを理解できない時点で、否定するだけの根拠がないのですから。

 

相手の苦しみは理解できるものではない。

だからこそ受け止めるという姿勢が大切なんだという視点が人間関係を円滑にするのかなと考えていす。

 

というか、相手のことなんて絶対に理解できやしねーよと思えれば、自然とそういう視点に立てるのではないでしょうか?

 

常識を疑うということ

他人の立場になって考えようよ

 

というのは、よく言われる話で、皆さんそれが大切なことはわかってると思います。

 

ただ、他人ってなんだ?とか、苦しみってなんだ?と考えることによって問題の本質に迫ることができます。

私たちは普通に生活している中で

 

名前

これは当たり前だから〜

 

といって思考をしないことがあります。

もちろん、当たり前であることは当たり前なんですけど、ただ単に考えてないだけなんですよね。

 

 

この本は、14歳向けに書かれた本なので簡単な日本語で考える事についての大切さを説いています。

読んでみるといかに自分が常識に縛られて当たり前のものを何も考えもせずに当たり前と受け止めているかが思い知らされます。

 

14歳に語り掛けるように書かれていますが、大人が読んでもいい勉強になりますw

 

生きるとは考えることなのでは?

 

なぜ自分は生きているまたは、生かされているのだろう?と考えた時にスッと答えが出てくる人はいないと思います。

なぜだかわからないんですよ。

 

生きているから生きてるんじゃん

 

いや、それは当たり前なんですけど、考えてみるとなぜ生きるのか?生きなければならないのか?

なぜ?なぜ?って問う姿勢は大事だと思います。たとえ答えが出なくても。

 

仕事についても同じです。ただ決められたレールに沿って働いていて、なぜ自分はこの仕事をしているのだろう?と考えて虚しくなって心の病になってしまう人が多いですよね。

それは悩んでいるからです。

 

ほっしー
なぜ自分だけがこんなつらい目に……

 

と、悩むからつらいんですよ。

 

名前
なぜ?仕事がつらい?仕事嫌いなのか?好きなことって?自分がやりたいことって?

 

そうやって考えていけば仕事もきっと楽しいものになるはず。

 

つまり、何事においても深く深く考えて追及する姿勢こそが生きるということなのだと私は思います。