どうも、メンタルヘルスブロガーのほっしーです。
こないだテレビを見ていたら、いじめ問題について脳外科の先生がコメントしてました。
いじめがどれだけ軽くても脳は覚えています。過去のいじめの記憶は消えることがないんですよ。
そのときの状態を体験して克服しないと、大人になっても傷は消えないんだってさ。
実はわたしも学生時代にいじめられたことがあって、今でもハッキリと覚えています。
楽しかったことは思い出せないのに、いじめられたことはハッキリと…ハッキリと思い出せる。
あのときの教室で感じた異様な空気、心に湧き上がった不安、逃げ出したい気持ち。全部ね。
いじめられた記憶を噛み砕いて、人に対する考え方がガラッと変わったので結果的に良かったと思っています。
思っていますというか思いたいのかも。
無理矢理にでもいじめられた経験を良かったものにしないと、ちょっと耐えられない。
小学校で「軽いいじめ」にあった
生まれつき、口の周りに大きなほくろがありました。
口元のほくろはセクシーなんて言う人もいますが、まさにイケメンに限る事例と言えるでしょう。
で、このほくろが「いじりの対象」になったんですよね。
- 黒板に似顔絵が書かれほくろの部分だけ赤で書かれる
- 消しゴムのカスを大きくしてわたしと同じ位置にそれを貼る
- ↑の準備が整うとチラチラこちらを見て笑う
多いときは4〜5人、少ないときでも2人以上でやってました。暇かよw
今思えば軽〜い、いじめです。いじめとも言えないかな?
いじめって言うと、殴られたり蹴られたり、トイレに閉じ込められたりとか想像しますよね。
わたしが受けたいじめは超陰湿なんですよ。
なので、先生には気づいてもらえず、こちらがなんとかしてほしいとお願いしても取り合ってもらえませんでした。
親からも「それぐらいで落ち込まなくても良くない?」と言われてしまう始末。
大人になった今なら「たったそれだけのことで?」とは思えますが、当時のわたしは、人生に絶望していましたね…w
小学校4年生で不登校に
引きこもっていたときのことは全然覚えてないんですよ…。
母の話では、よく膝を抱えて部屋のすみーっこのほうにいたそうです。
下校時間になると、家に帰る同級生たちをカーテンの隙間から覗いていた姿をみて情けなくなったとも母は言ってました。
小学校6年生の卒業間際になんとか学校に復帰して、卒業式には出ています。
不登校からどうやって復帰したか?については以下の記事にまとめています。完全に母親の手腕。
≫不登校になった小学生の息子を復帰させた具体的な方法を母親に聞いた。
ちなみに、精神科医の見立てではこのときすでにうつ病または双極性障害を発症していた可能性が高いとのこと。
いじめが原因で精神疾患になったといっても過言ではありませんな。
実際、この頃からなんですよ。冬場にやたらと気分が沈むようになったの。
いじめのせいにしてもなんも解決しないので意味ないですが、いじめが原因と考えると全て辻褄が合うという…(笑)
中学校に登校しだしてもいじめは続いた
中学校に進学するも、クラスのメンバーはほとんど小学校と変更なし。
田舎でしたからねぇ…中学校も数がありませんでした。
不登校から復帰して中学に進学した最初の数ヶ月の間は、どこか腫れ物に触るような扱いを受けましたね。
いじめたことを反省していたのか、わたしに対して危ないやつだと思っていたのかは知りません。
ただ、残念ながらそのような時間も長くは続かず。
やっぱりいじめは再開しちゃいました。
いじめの内容は小学校のときと同じ。よく飽きないなぁ。
再びターゲットとされてしまったわたしは、またまた不登校に。
ただ、小学校のときと違って、環境を変えてみようと別の学校に足を運ぶことになりました。
逃げ込んだのは少年支援室というところ
非行(20歳未満の少年)や不登校(小・中学生)等に関する相談を、保護者や学校関係者等から受け、通所を通して支援・援助を行います。
心因性の不登校(小・中学生)に関する相談を、学校等から受け、適応指導教室への通級を通して支援・援助を行います。
少年支援室では通所する児童生徒に対して、一人ひとりに応じた集団活動や自学自習の援助を行っています。
引用:少年支援室
当時はとにかく環境から逃げたくて仕方なくて、逃げました。
この逃げたという事実に対しては、長いこと負い目を感じることになるのですが、今思えば正解でしたね…。
逃げずにいじめを受け続けるか、家に引きこもるかの選択肢しかないものと思っていましたから
と言ったときに快くいかせてくれた親には感謝してます。
少年支援室と看板を掲げているだけあって、すごーく「優しい世界」でした。
不登校・ヤンキーが入り交じる異色の空間でしたが、社会から爪弾きにされたという意味では同族。
いじめなんてものは無縁で、勉強も難しくなく、とにかく「社会復帰」を目的とした施設という感じ。
当時は「なにも得るものがなかった」と思っていました。
でも、誰にでもできる簡単なことから少しずつステップアップして社会復帰を促すプロセスは、その後の私の人生に大きな影響を与えています。
自分がうつ状態の時に気持ちを上向きにしようと思って、やったことで1番役に立ったのは、「小さな事でも褒めるリスト」だな。
小さいことって誰にも褒められない。けど、うつ病でも小さな達成は毎日やってる。
— 星野 良輔(ほっしー) (@hossy_fe_ap) 2017年2月21日
布団から出たでも、外にいっぽ出たでも、風呂掃除できたでも、何でも良い。他人と比べないで、今自分ができる範囲の中で達成したことを記録していけばいい。
大事なのは、自信を取り戻すことだから。
— 星野 良輔(ほっしー) (@hossy_fe_ap) 2017年2月21日
少しずつ自信を取り戻していった結果、中学校の間に復帰することはありませんでしたが、高校で復帰できました。
それ以降は、1度転校しちゃってますが(笑) 不登校になっていません。
ほくろでいじめられるのがイヤすぎてレーザー除去手術までしました
高校生2年生の夏休みだったかな。
いじめは終わってましたが…
と、ずっと気になっていたので、ついにほくろ除去手術を実行しました。
レーザーでジュッて焼くだけのもので、数十年の苦労がこんな一瞬でなくなるのかと驚きました。
あとも残らずにキレイに除去できたのでめちゃくちゃ嬉しかった。
ただ、ここで問題が1つ。
こんなふうにバカにされたらどうしよう…と、新しい悩みが生まれてしまいました(笑)
そんなくだらないことでぐじぐじ悩んで1週間が過ぎた頃。
そう、だれも気が付かないんですよ。わたしがほくろを除去したことを。
勇気を振り絞って、ほくろを除去したんだよって友達に言ってみました。
このときはすごく悔しくて家で泣きました。
今までの自分の人生は何だったんだと。
でもある意味吹っ切れたんです。
だれも自分のことなんて気にしてないなら好き勝手やってやろうって。
いじめられたことは絶対に忘れない
恨んではいません。人生それなりに楽しくやってますから。
周りの目を過剰に気にしなくなったのは、これまでのいじめの経験があるからでしょう。
それでもわたしはきっと、いじめられたことは忘れない。
忘れないというか忘れられないというか…うーん。
普段意識しているわけではありませんが、思い出そうと思えば克明に思い出せます。
あの時、わたしに向けられた純粋な悪意、純粋な高笑いの声、あまりにも性格なほくろの位置。
全部、思い出せます。わたし程度のいじめでも、ハッキリクッキリ思い出せる。
いいですか?ここめっちゃ大事なとこ。
わたし程度の「イジり」のいじめでも、正確に思い出せるんです。
これが、メディアで報道されるような強烈ないじめだったらどうでしょうか?
- 毎晩、悪夢にうなされるかもしれません。
- 人と関わることが怖くなってしまうかもしれません。
- まともに社会人としてやっていけないかもしれません。
- 自分に対する自信をなくして常に悲観的に生きていくかもしれません。
- わたしのようにうつ病になってしまうかもしれません。
いじめられた記憶が全く消えないエピソードですごく強烈なものがあります。
ちょっと長いですが、引用しますね。
いじめられたのは20年以上も前の話ですが、彼の時間は小学生の時点で止まっていたのです。
記憶は鮮明で、一日どころか1時間単位で、彼は当時の出来事を語り出しました。
当初私は、2時間もあれば話は終わるだろうと見積もっていました。
しかし、2時間を過ぎた時点で、まだいじめが始まって2日目の出来事が終わりません。
これは長丁場になると思いました。
午後10時になり、もう彼の気が済むまで話を聞くしかないと覚悟しました。
永平寺では、午後9時に全館消灯です。遅くとも10時までには就寝していなければなりません。
上司に理由を話して許可をもらい、話を聞き続けました。
やがて夜が明け、朝の坐禅とお勤め(読経)が始まりました。
事情を察した仲間の僧侶がお茶を運んでくれましたが、それまでトイレにも行かず、お茶も食べ物も口にせず彼はせつせつと話し、私は聞き続けました。
いじめをするなら相手の人生を生涯に渡って台無しにする可能性があることを覚えておけ
もし今あなたがいじめに加担しているなら、相手の人生をぶち壊すことを覚えておいたほうがいい。
傷ついた心のままストレスを溜め続けた人間がどうなるか?
メンヘラワールドにようこそですよ。
過去の傷が深ければ深いほど、また、過去であれば過去であるほど薬のみの治療では厳しい。
薬だけではダメで、精神療法も必要になってきます。
精神療法ってのは、カウセリングや認知行動療法のことです。
≫うつ病のひとこそいくべき! カウンセリング初体験してきたよ
ほんとコストかかんだよ。カウンセリングなんて相場は5000〜1万円するんだぞ。
わざわざ2000円のとこ見つけて片道30分かけて行ってますわ。
何度も言ってますが、わたしのいじめは軽いほうです。なのでこうやってお話できているのかも。
メディアでときどき報道されるいじめによって自ら命をたってしまったというニュース。
いじめられたぐらいで…。と思っているひとが多いみたいですが、実際に体験してみるとその気持ち、わかりますよ。
とにかく孤立無援なんですから。
さいごに:いじめられた記憶はみんな覚えている
#nhk #あさイチ よく言われることだけど、いじめをした側はいじめたことを忘れる、いじめられた側は忘れない。後遺症に苦しんで、解決を復讐に見出すこともあると思うよ?いじめる側は自分のほうが強いと慢心して油断してるけどさ。
— Wakaba Smoker (@hobarman14) 2017年2月5日
当時は全く気付かなかったけど、30過ぎたくらいになってようやくあの行為はいじめだったなというどうしようもない気持ちになることある。
一生気付かずに終える人もいるだろうな。
びっくりするくらい気付いてないし時間が経つと記憶が改ざんされてる。
やられた方は忘れないよね。— コトバおじいちゃん@-●●●- (@ko_to_ba) 2017年2月6日
人は少なからずとも人を傷つけてしまったり、迷惑をかけてしまうものだ。だけど生活の上で人は繋がりなくしては生きて行けない。行動や生活の上で人を思いやる気持ちを少しでも心のそばに置いておく。いじめや嫌がらせ理不尽な事をされた側は一生忘れない。正直に真面目に仕事に励む。それだけの事。
— Acasi 100年生きて100年学べ (@ad_aid_sign) 2017年1月22日
復讐をしてやろうなんて気持ちは全く湧いてきません。
今では言いたい放題言うキャラクターとして通っていますが、わたしをいじめた彼らの前に立つと、足がすくんでなにも言えなくなる自分が戻ってくるかも。
自分でもたいしたことないいじめだったよなーなんて思うのに、ビビってるんですわ。
思っている以上に、こころに深いダメージを負っているんでしょうね。
社会人になっていろいろあって会社にいけなくなってうつになったことよりも、いじめられていたときのことを思い出すほうが心がえぐられる感が強いです(笑)
もうわたし、20代後半ですよ。そろそろ30だわ。
うつになって会社辞めました。いまは在宅で仕事をしています。
それなりに、人生楽しんでます。
いじめられた経験もうつになった経験も、こうやってブログに書けるんだから儲けものですわ。
笑って話すこと、できます。
ほくろがあるぐらいで気にしまくってどんだけ人生損してんだって感じですよww
それは大人になった今だからそう思えるんです。
いじめにあって人生どん底の子どもに
なんていったって、わかりゃしません。
わたしをいじめた人たちは、私のことをいじめたことなんて覚えてないかもしれませんね。
ターゲットが目まぐるしく入れ替わる腐った校風でしたから、彼らの遊びの一環でしかないでしょう。
もしかしたら「いじめなんて絶対にやっちゃいけないことだよ」なんて偉そうに語ってるかもしれません。
ま、それでもいいです。わたしの知らないところで幸せになってください。
でも、わたしは一生忘れることができないでしょうね。
恨むとか恨まないとかではなく、記憶からこびりついて離れないんですよ。
殴られたわけでもなく、トイレに閉じ込められたわけでもない。
人の同情を誘えるほど壮絶ないじめを経験していないわたしですらこの有様です。
いじめについてはもっと真剣に考えたほうがいいんじゃないですか?
小学生の時のいじめが忘れられず10年以上経ちます。同じ経験をした人が周りにいなくて一人でたまにフラッシュバックして相談できずにいます。
どのように人間関係を克服しましたか
小学生の時のいじめが忘れられず10年以上経ちます。同じ経験をした人が周りにいなくて一人でたまにフラッシュバックして相談できずにいます。
どのように人間関係を克服しましたか