どうも、メンタルヘルスブロガーのほっしーです。
あなたもこんな話を聞いたことがあるかもしれません。
それはうつ病が心の病であると誤解している証拠。
体育会系でも実際にはうつ病になりますよ。
なぜかって? わたしが元体育会系でうつ病なう! だからですw
学生の頃は運動部でした
中学1年生から剣道部、途中でやめちゃったけどそのあとも運動部に所属していました。
そんな世界で育ったわたしは「考えもなしに」後輩にも同じ態度を要求。
典型的なウザ体育会系でしたねぇ…。
なにかつらいことがあっても根性で乗り切ろうとしてました。
いや、もしかしたら、本当は弱い自分に気づいていながらも「乗り越えなければいけない」と思っていたんでしょうか。
当時のことをふりかえっても、とにかく自分とは向き合わないようにしてました。
弱い自分を見ることが怖かったのかもしれません。
根性って言葉は便利なんですよねぇ。考えなくていいし。
大学では写真部に所属するも、体育会系のノリは抜けなかった。
体育会系そのものですよね。
上から目線で、力こそ全て! みたいな。
大学のサークルに入ったのも、
と、当時であった友人と話し合ったからでした(笑)アホだったなあ。
ま、今でもその友人とは仲良くさせてもらっていて、さすがにお互い丸くなりましたw
彼はもう親友ですねぇ…。わたしの趣味であるスポーツカーも彼の影響です。
彼も体育会系でしたから、文化系サークルのゆるい雰囲気に突然現れた黒船のような存在だったかもしれません。
いや、黒船というかなんだろう。もっと邪悪な存在に見えたかな(笑)
わたしが裏部長、親友が部長となったときは過去最低の部員数じゃね? と先輩に言われたことを覚えています。
合わないやつは排除、無能は排除
いじめられた経験があったので、あまり声を上げないひとが、昔の自分を見ているようで嫌だったのかもしれません。
いじめた側と同じようなことやってますね。恥ずかしい。
ちなみにいじめられていたときのことは親友に話していないので、バレないように必死に自分を隠していたという部分もあるかも?
いずれにしても、自分を守るとはいえ、排除排除を重ねてきた過去の悪行は消えません。
申し訳ないなぁなんて思っても、いまさら責任も取りようがないし、どこか嘘くさくて…。
いじめた経験のある人はこんな考え方をするんでしょうかねぇ。我ながら嫌だなぁ。
自分のいじめられた経験はなんだったのか? 振り返ってみても学んだことはもしかしたらないのかもしれません。
ほら、いじめられたひとたちってみんな優しかったりするじゃないですか。
自分はそういう部分は育たずに、性根が腐ってしまったのかも。
いじめられたせいにするわけではありませんけど…ちょっとねじ曲がった形で別の人に復讐していたのかもしれません。
忙しさに負けてはいけないと感じていた正社員時代
体育会系なので?普段からビックマウス。
みたいな。
いるじゃないですか、暑苦しいやつ。どこにでも1人ぐらいはw
まさにそんな感じでいつも声がでかくて目立てば良し!みたいな考えがありました。
今も完全になくなったわけではありませんが、それほど目立ってはない…と…思いたい。
当然、ビッグマウスである以上、それ相応の成果または結果を出さなければならないと思い込んでいましたね。
周りの大人たちは、嘲笑と温かい笑みでわたしを見守っていてくれたのかもなぁと今では思います。
ただ、結果的に勝手に潰れてしまって申し訳ない。
会社に潰されたー! とブログでは書いてますが、自分が悪かった部分もたくさんあります。
割合的には自分が悪いほうが多いかもしれません。
仕事が合わなかったというだけで、それほど悪い職場ではなかった。
残業が多いだけで、和気あいあいとしていましたし。
勝手に期待されていると思って勝手に背負っちゃいました(笑)
うつ病の診断を受けた瞬間に体育会系の自分は終わった
最初はもうこのまま死んだ方がマシだとさえ思ってました。
でも、悔しいじゃないですか。
自分のことを有能だと勘違いしていたので、そんな自分がうつ病ぐらいで…!!と奮起しました。
で、やり出したのはうつ病は甘えじゃない!と自分にまずたたき込むこと。
ひたすら本を読んで勉強しましたね。
甘えか脳の病気かってのは考え方いろいろあると思いますけど、個人的には真実はどっちでもいいです。
脳の病気だ!と、信じ込ませるのが大事なんですよ。
甘えてると思ったら、なんかむなしくなるでしょ?
≫「うつ病は甘え」じゃない!でも患者本人は「甘え」だと思っています。
で、甘えを排除するには体育会系の自分とはおさらばするしかありませんでした。
体育会系の過去の自分と完全に決別しなきゃ、ずっと回復できないんですよ。
だって、その自分から見れば「うつ病は100%甘え。筋トレでもしてろや」ですから。
実際にうつ病になってみりゃわかりますけど、筋トレどころじゃねえ…。
ただ外に出ることでさえもおっくうになってしまうので、「運動そのもの」が不可能だったりします。
症状が比較的軽いと言われているわたしでもね。
≫うつ病なら運動しろよ!効果あるぞ! なんて簡単に言ってくれるな。わかってんだよ、 動けねぇんだよ…。
さいごに:根性では何も解決しない
もう亡くなった師匠に「世の中から、根性やら気合いやら精神論を振りかざす連中が絶えない理由」を聞いたことがある。答えは「具体的対策をするには金が掛かるけど、根性が足りないから出来ないんだ、と言ってれば金を使わなくて済むうえ、非は相手にある、と言えるから」と。納得したわ。
— 安達裕章 (@adachi_hiro) 2017年2月25日
まさにこのツイートの通り。
個人の人生においても同じです。
体育会系はコストがかからないんですよ。
思考においてもね。
難しいことは考えなくていいから人生楽です。
とにかく根性!根性!で生きていればいいからね。
でもその根性がちょっと折れかかったときに、解決する方法もまた根性と気合いしかないので、行き詰まったら他の人よりも転がり落ちていきます。
立ち直るのは結構難しかったですねぇ。
なにしろ、過去の体育会系の自分から責められますから(笑)
体育会系ではないにしても、わたしのように過去の自分に責められているひとは多いと思います。
まずはその自分と決別しなければ治療は始まりません。
治療が3歩進んだとしても、首根っこ掴まれて5歩ぐらい引きずられるんです。
まずは過去の自分を捨てること。否定する必要はありません。
過去の自分の捨て方は認めてあげることです。
恥ずかしい話ですが、わたしも体育会系だった時代も必死だったのであのときはそれでよかったのでしょう。
過去の自分を認めた上で、これからどうやって生きていく? という視点に立てば、自然な形で過去の自分を捨てることができます。
急には難しいですが、ちょいちょいやっていきましょう。
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