うつの難治化は、「誰かのために頑張ることが美徳」という勘違い精神論社会が作り出している。

どうも、ほっしーです。

日本的ナルシズムってなんやねんというタイトルに惹かれて記事を読みました。

結構難しい言葉が使われていて、理解しにくいかもしれませんが、すごく大事なことが書いてあります。

私なりに分りやすくかみ砕いて解説してみますね。

 

 

今までも今でも、「病前性格論」が盛んです

実証的なエビデンスが得られなかったために注目されることが減りましたが、以前の精神医学ではうつ病の病前性格論が盛んで、「執着気質」とか「メランコリー親和型」などのうつ病になりやすい性格が論じられ、それらの詳細を必死に勉強したのが私の精神科医としての初期教育でした。

「まじめないい人がうつ病になる」というのは、その内容を単純化した表現です。

引用:日本的ナルシシズムとうつ病の難治化・自殺の問題について

「真面目な人ほど、いや、まじめすぎる人がうつになる」というのは常識で、そこを疑う人はいないでしょう。

でもこれだと、うつ病になる人が悪いという話で、社会には責任がないかのような言い方ですよね。

引用した記事の結論では「問題は社会にある」と指摘しています。

 

うつ患者は病的なほどに休みたいとは感じない

病的なほどに、「休みたい、快を感じたい」という欲求よりも、「社会的な役割を保ちたい、向上させたい」という欲望の方が亢進している

(中略)

むしろ、「自分が所属する小社会から自分に向けられた期待を裏切ることに、恥や罪悪感の観念をともなう強烈な苦痛を感じる」と説明した方が、適切かもしれません。

実家に強制送還! 双極性障害になって休職… そのまま仕事ができなくなったエピソード」という私が書いた記事では、社会で疲弊し、双極性障害(躁うつ病)の診断を受けるまでを詳細に記録しています。

そこを読んでいただけると分かるように、「休みたい」という欲求は皆無で、むしろ「期待にこたえたい」…いや、「期待にこたえなければいけない」という追い込まれ方をしていることが分かるかと思います。

これは心の病になった人のほとんどに共通していますよね。

頑張りすぎて潰れちゃった人が多いのです。

うつ病患者は休み方を知らない

 

主治医VS患者の構図

このような状況に陥っている患者さんを何とかしようと、「病気だから休む/降りるように」と伝えることは、その人のナルシシズムへの挑戦と受け止められる危険性が高いのです。

たとえそれが主治医からの助言であっても、激烈な反応を呼び起こすことがあります。

自己愛が傷ついたことによる自己愛性憤怒narcissistic rageが引き起こされ、「指導する立場」に主治医があることを破壊しようとする羨望envyが亢進することによる闘争(主治医と患者で、揚げ足を取り合って攻撃し合うようなことも生じます)へと治療場面が変容してしまうことがあります。

私も名古屋ではじめて診断を受けたときは自分の生活が破壊されるかもしれないと、精神科医を強く警戒しました。

ほっしー

これで休める…

という感覚よりは

ほっしー

彼は敵だ…!

と。

精神科医に対して完全に闘争へと治療の場面が変容しましたね(笑)

精神科の先生が合わないなら転院すればいいよという人もいますが、手続きとかめんどくさいし、処方の内容は変えてほしくないので、乗り気になりませんな。

精神科医vs患者という構図は根深いので、さっさとVR診療にするべきだと私は考えています(笑)

 

うつが増えるのは、「日本的ナルシズム」のせいだ

自信満々の男

危惧するのは、日本という社会全体で、「個人的な欲求を省みるのはダメなことであり、直接かかわる集団の理念よりも普遍的な価値を訴えるのは勘違いした未熟さの現れであり、他のことを無視して、所属する小社会のために滅私奉公してすべてを捧げることがまともな社会人である」という思い込みを共有し、相互に厳しく監視することで成功してきた(そしてその失敗の部分を否認してきた)という面があったことです。

ここで共有されている美化された集団と個人の理想像に心理的・社会的に拘束されている状況を、日本的ナルシシズムと呼びました。

難しいことが書いてありますが…。

自分より他人を優先し、所属する団体や会社に身も心もささげることがまともな社会人であるという思い込みのもと、お互いに厳しく監視し合ってきた。そしてその束縛しあった状況を日本的ナルシズムと呼ぶということです。

ナルシズムとは、自己を性的な対象とみなす状態なので、所属する狭い世界にすべてをささげることを美徳としている日本人にぴったりな表現ですね(笑)

 

 

日本がメンタルヘルス的に成熟するとき

私は、日本人の一人一人が、日本的ナルシシズムによる相互拘束を抜けて、本当の良い意味で自我を確立することで、ナルシシズムの病理を克服して成熟させることが今の時代における倫理的な行為であり、それによって個人と集団が弁証法的に高め合うような状況を実現できると考えています。

その時に日本的ナルシシズムは終焉し、成熟した日本的な誇りが回復していることでしょう。

弁証法とは、まあいろいろ解釈ありますが、話し合っていい結果出そうよ! という認識でいいでしょう。

つまりここでの指摘は、日本人がもっと今の状況を異常だと認識して話し合うことによって、人間がより良い、生きやすい社会を形成することが、日本的ナルシズムを克服することにつながるという意味合いだと理解しています。

 

いまのあなたが生きている間に、ナルシシズムの終焉は来ない。

ここでいう日本的ナルシシズムの終焉は当分、訪れないと私は考えています。

監視社会はこれからますます強化されていくことに違いありません。ITの進化で効率化されていく労働と、マイナンバーの導入によってより我々の生活は見える化していきますからね。

ともなると、自分で精神をコントロールする術を作るのが手っ取り早いのかなと。

いずれは心が病んでしまった人が生きやすい日本がくるかも?しれません。

でもそれを待っている間に、私は寿命が尽きてしまいそうなので、自分で何とかする道を選びます(笑)

社会の役に立てない人は価値がないという考え方は刷り込まれているので、覆すことはなかなか難しいですが

本来であれば「すでに心が壊れているのに、まだ痛めつけるの?」に書いたように、生きていればそれでよいはず。

「価値」に対するハードルを下げ、小さな成功を体験し自信をつけて行くことをオススメします。